この物語はフィクションです。実在する人物・地名・団体名など固有名詞が登場することもありますが、当作品、運営会社とは一切関係ございません。
また、この物語は四国八十八箇所巡礼、お遍路さんを愚弄するものではありません。この作品を通じて一人でも多くの方々にお遍路、四国の自然・文化に触れていただき、興味を持っていただければと願っております。


第零話<前編>

文章・絵:SHIZUMU(OpenDesign) 制作:OpenDesign


回想@どこかのお寺

 あの日も、うだるような暑さだった。
 鳴り止むことを知らない蝉の声が、より一層、暑さを強調する。頭上にはどこまでも広がる高い青空(そら)。大地を焦がす夏の陽射しは眩しすぎて、逃れるように入ったお寺の境内。
 そこは、別世界を錯覚させた。
 境内の片隅、世界から隔絶されたその場所で、俺は≪それ≫と出逢った。
 ≪それ≫は、ヒトの姿でヒトの言葉を解していたけれど、幼いながらに、いや、幼かったからこそ、ヒトとは違う何かであると理解した。
 別れ際、≪それ≫は俺に手渡した。鈍い光を放つ小さな金属の輪っか。文字のような模様が刻まれた銀の指輪だった。
『――――』
 そして何かを囁(ささや)きかけてきたけれど、俺はその言葉を思い出せない。


回想@祖父の恵八(けいはち)の家

「じいちゃん、今日はどんな話を聞かせてくれるん?」
 俺、幸野恵(こうのけい)が、まだ幼かった頃の記憶だ。
 うちの両親は共働きで、家を留守にすることが多かった。そのため幼年期の大半は、祖父の恵八(けいはち)の家で過ごした。祖父は毎日のようにお大師さんやお遍路にまつわる話を聞かせてくれた。
「そうやなあ……四国を守る結界の話でもしようかのう」
「結界?」
「うむ。四国はな、八十八箇所のお寺を結ぶ結界で守られとるんよ。わしらが平和に暮らせるんも、お大師さんの結界のおかげやけんの、お大師さんに感謝する気持ちを忘れたらいかん」

 弘法大師・空海ゆかりの聖地、四国――

 四国は、日本列島を構成する島の一つで、徳島県・香川県・愛媛県・高知県の四県からなる。瀬戸内海を挟んで、近畿地方・山陽地方・九州に三方を囲まれた位置にあり、島の中部には四国山地や讃岐山脈の山々がそびえている。
 国の中心地から遠く離れた四国は、古来から様々な修行の場とされてきた。讃岐国(現在の香川県)に生まれた弘法大師・空海も、この地で修業を積み八十八箇所の霊場を開創したと伝えられている。
 この四国八十八箇所霊場を巡礼することが「遍路」であり、巡礼者を「お遍路さん」という。
 八十八箇所霊場を開創した弘法大師・空海。地元の人々は親しみを込めて「お大師さん」と呼ぶ。各地には、お大師さんの伝説・逸話が数多く残されている。
 四国結界の伝説も、その中の一つだ。
 お大師さんが四国霊場を築いたときに張られたとされるその結界は、千数百年の時が過ぎた今でも四国を包み守っている。大きな災害に見舞われることもなく、人々が平穏に暮らせるのも、全て結界のご加護によるものだとかなんとか。

「結界がなくなったらどうなるん?」
「そりゃあ、えらいことにならあ」
 四国が海に沈んでしまうかもしれんのう、と祖父は言う。そりゃあ確かに大変だ。
 その頃は、結界という言葉の意味もろくにわかっていなかったけれど、それがとても大切なものであることだけは理解できた。
「なに、心配せんでもええ。結界の力が弱まらんよう、いつも八八さんが見張ってくださっとる」
 八十八箇所のお寺に棲(す)まう結界の守り人。
 それらは「八八(はちはち)さん」と呼ばれ、お大師さんの分身であるとか、お寺の精霊であるとか。その姿も、少女であったり、はたまた老婆であったり、語る人によって様々だ。
 結局のところ、地方に伝わる説話の一つでしかない。
 だけど俺はこの守り人の話が好きだった。八八さんは存在すると信じていた。

 だって、あの日に出会ったあれは確かに――


クラスメイトの鈴本陽子@教室

「――、恵!」
 名前を呼ぶ声で目が覚めた。
「まったく、終業式の日まで居眠りせんでも」
 クラスメイトの鈴本陽子が、呆れたように笑っている。
 今日は一学期の終了日。一時間程度の式典を終えて、体育館から教室に戻ったところまでは覚えている。それから……記憶がない。
 あたりを見回す。教室には数人の生徒が残っているだけだった。どうやらホームルームも終わって解散した後のようだ。
 壁に掛けられた時計を確認する。針は十六時を指していた。終業式が終わったのが十一時過ぎだったから、かれこれ五時間近く眠りこけていたことになる。我ながらよく眠れたものだと感心する。いや、その前に誰か起こしてや。
「先生が職員室に来いって。進路希望、まだ出してないんでしょ?」
「ああ……ありがと」
 ほら、といって差し出されたプリントを受け取る。紙面には『進路希望調査』と書かれていて、少し憂鬱な気分になる。そういえば先々週に配られたっけ。何て書こうか決めあぐねているうちに、そのまま忘れてしまっていた。
 特に希望する進路はありません……と書いて出すほど子供ではないが、だからといって真剣に考える気にもなれないので、適当に地元の大学名を書き込んで陽子に手渡した。
「え? あ、ちょっと」
「代わりに渡しといて」
 そういって、教室から出ていく。背後で陽子の抗議する声が聞こえなくもないが、まあ、気にしない。


校庭

 校庭に出た。
 溶けるような猛暑日。あまりの暑さに眩暈(めまい)を覚える。
 少し離れたグラウンドからは野球部だろう、掛け声が聞こえてくる。こんな暑い中、ようやるわ。青春の汗とはよく言ったものだが、そんなものとは無縁の帰宅部である俺は、クーラーの癒しを求めて真っ直ぐ学生寮へ向かうのであった。
 学生寮は校舎に隣接する位置にある。その建物を目前にして俺は足を止めた。
 寮の玄関ドアには、<閉寮期間中>の貼り紙。
 ああそうだ、明日から夏休み。今日が終了日である以上、改めて言うほどのことではないのだけど、ただ、夏季休暇中は寮に入れないことを失念していたのは失敗だった。本日の十五時をもって寮は封鎖。その時間はもうとっくに過ぎている。
 そもそもこの閉寮は、長い休暇の間くらい親元に帰ってゆっくり孝行し、寮生活の疲れをとってほしいという学校なりの配慮なのだが、俺からすれば何とも迷惑な気遣いである。何かの事情で実家に戻れない生徒がいるかもしれないではないか。
 しかしこのまま突っ立っていても仕方がない。
 荷物をまとめる間だけ開けてもらおうかとも考えたが、まとめるほどの荷物もないので、結局そのまま学校を後にした。


愛媛県松山市の中心市街地にあるアーケード商店街

 商店街を自転車で走り抜ける。
 松山中央商店街――愛媛県松山市の中心市街地にあるアーケード商店街で、大街道・銀天街・まつちかTOWNの三つの商店街で構成されている。二〇〇六年に「がんばる商店街七七選」に選ばれたらしいよ!
 ちなみに、アーケード内の自転車走行は禁止されているので、俺が走っているのは商店街の裏道だったりする。
 本屋へ立ち寄り、小説を三冊ほど読了して店を出る頃には、すっかり陽も暮れ、時刻は二十時をまわっていた。とはいえ、まだそれほど遅くはない時分。なのに擦れ違う人が疎(まば)らなのは、この暑さのせいだろうか。
 空は夕暮れから夜闇へ。陽はもう完全に落ちたというのに、気温はまったく下がっていない。湿気を帯びた空気がじっとりと絡みついて、体感温度をさらに上昇させる。日中の焼け付く陽射しのほうがまだ清々(すがすが)しかったと思える。
 大街道と銀天街の交差点に差し掛かったとき、一人の少女が目に留まった。
 白衣(びゃくえ)に菅(すげ)笠、手には赤杖が握られている。
 この地域に住んでいれば、よく見かけるお遍路さんの姿。だけど馴染みの深いお遍路さんのそれとは違っていた。
 少女の姿に気を取られて、目前に迫るそれの存在に気付いていなかった。
「危ないっ!」
 突然の叫び声に、はっと我に返る。視界に入ってきたのは、


銀天街入り口にあるタヌキの石像

――タヌキ!!?

 それが、銀天街入り口にあるタヌキの石像だと認識できたときには、もう遅かった。
 派手な音をたてて、自転車共々地面に叩きつけられる。

「いたた……」
 上体を起こそうとすると、脳震盪を起こしたのか視界が揺れる。
 そこに、すっと白い手が差し出された。
「っと、ありがとう」
 条件反射的にその手を取り、顔を上げる。
(え……?)


お遍路姿の少女

 目の前に立っていたのは、先刻のお遍路(?)姿の少女。
 その頭には動物の耳が生えていた――……というのは、ただの見間違いで。いたって普通の少女だった。いや、普通と言っていいものか些(いささ)か疑問は残るけれど。格好が格好だし。
 歳は俺と同じか、一、二歳下といった感じだ。栗色の髪と丸い瞳が小動物を連想させる。だからと言って獣耳の錯覚はないだろうと、自分で自分にツッコミを入れた。
 彼女の服装の話に戻ろう。白衣に橙色の輪袈裟(わげさ)、手には菅笠と金剛杖(こんごうづえ)。そして「同行二人(どうぎょうににん)」の文字が入った頭陀袋を肩に掛けている。これだけ聞けばお遍路さんの正装のように思えるが、一般的にイメージされるお遍路さんとはあまりにもかけ離れていた。
 白衣が、その、なんというか、……お か し い。
 レースをあしらった姫袖仕様の上衣は、銀糸の帯で締められている。下はフリフリのミニスカートとニーソックス。確かに、巡拝するのに服装の決まりはないと言われているけれど。だからといって、見るからに歩きにくそうなその格好。八十八箇所を無事にまわれるのだろうかと、要らぬ心配してしまう。
 それともあれか、コスプレというやつか。松山もついにそーゆー街になったのか。
 俺が彼女の服装について延々考察している間、彼女は彼女で、俺の手を握ったまま何かを考え込んでいるようだった。指を見つめたまま微動だにしない。
 ――手を握ったまま?
「えーっと……」
 困惑する。いや、それよりも。忘れていたがここは往来のど真ん中。人々がいぶかしげな目で俺たちを見ては通り過ぎていく。それもそうだ、片方は倒れ込んで(上半身は起こしたけれど)、もう片方はコスプレお遍路少女。目を引くのは仕方がない。仕方がないが、この状況は恥ずかしすぎる。
 何て切り出そうか迷っていると、彼女のほうも通行人の視線に気付いたのだろう、手を放して一歩下がってくれた。
 今度は少女の手を借りずに立ち上がる。幸いなことに、ところどころ打ち身はあるものの、たいした怪我はしていない。側らに転がっている自転車も、カゴが歪んだ程度で乗るのに支障はなさそうだ。自転車を起こして、少女の方へ向き直る。
 彼女は相変わらず俺の指を見つめていた。うーん、変な子。
 それでも、倒れている俺のところへ真っ先に駆けつけてくれたのだ。改めてお礼を告げてその場を離れた。

つづく


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