第一話<霊山寺(後編)> ‐改訂版‐

2014年4月 加筆修正(12,345文字)

文章:静夢-SHIZUMU-
企画:OpenDesign


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 あゆみは振り返って、俺に「何?」と訊いた。
「何かわからんことでもあった?」
「いや、手順自体に疑問はないんやけど……」
「?」
「俺らの目的って『八八さん』を探すためやろ?」
「うん。それが?」
「別にお遍路さんをしに来たってわけじゃないんやけん、そんなに丁寧に参拝する必要があるんかなって」
「え……」
 その言葉にあゆみは唖然と立ち尽くす。そんなに変なことを口走っただろうか、俺。
「え、えーっと。冗談で言いよるん、よね?」
 戸惑いを含んだ声は、同時に、冗談じゃなきゃ怒るよ? と、言外に言っていた。
 どうやら――と言うか、間違いなく、地雷を踏んだらしい。
 返答に窮していると彼女は「ふう」と小さく溜め息をついた。
「……そりゃあ、たいした説明もなしに連れ出したあたしも悪いけど。……わかった、今からちゃんと説明する。説明するけん……」
 その言い方は俺に対してというより、自分自身に言い聞かせる風だった。あるいは、口に出すことで、何かを抑えている風でもあった。
「まず、一つ!」
 びしっと、人差し指を立てるあゆみ。
「結界に関することは総じて秘密裏に行わないかんのよ。ここで『なぜ?』とか考えたらいかんよ? そういうもんなんよ。やけん、普通のお遍路さんの振りをして八十八箇所を巡るんよ」
「そういうもんって……」
「そして、もう一つ! こっちのが大事な理由。“『八八さん』と逢う”っていうのは、“『八八さん』と縁を結ぶ”って意味なんね」
「それについては昨夜ちらっと聞いたけど、そもそも縁ってさ、出逢ったら勝手にできるもんじゃないん?」
「そうやけど、この場合、単に縁ができたらいいってもんじゃあないけん。えっと、何て言うたらいいんかな……。要するに“強い縁を結び続ける”必要があるってことなんよ。……こんな言い方で何となくイメージできる?」
「学校のクラスメイトに喩(たと)えると、同じクラスになった時点で縁はできるけど、仲良くなってさらにその関係を維持する必要があるってことかな」
「うーん……、学校ってところに行ったことがないけん何ともやけど、多分、あってると思うよ」
 少し困った様子のあゆみに、こっちもどう返答すればいいのか惑う――学校にも通わず小さい頃から仏道に生きる少女(なのに寺の生まれではないという)って一体……。
 まあ、いいか。
 きっと、いろいろあるのだろう。と、ここでも軽く受け流す俺。
 とりあえず、他人のことより自分のことだ。まずは自分が置かれている現状を把握することが先決だ。
 では、改めて。
 事の起こりは、あゆみという遍路服の少女と出逢ったことに始まる。
 俺は、彼女から四国に張られた結界に異変が起きたらしいことを聞かされ、その直後、それを報(しら)せる徴(しるし)とかいう不可思議な現象を目の当たりにした。
 結界の異変はそれを守る力が弱まったことに起因する――と言うことは「八八さん」と呼ばれる守り人に何かあったのではないか――そう考えた彼女は俺に言った。
 “力を貸して”――と。
 そんなわけで、俺はあゆみに連れられて「八八さん」探しの旅に出ることになった。
 旅の目的は「八八さん」と逢い、結界を守る力を取り戻すこと。
 そして、力を取り戻すための方法というのが“縁結び”だった。
 その方法はじいちゃんちの蔵で見つけた例の古びた本に書かれてあったのだが、具体的に言えばこうだ。
 まず、八十八箇所を一番から順番に巡りそれぞれの寺に棲(す)む「八八さん」と縁を結ぶ。
 一番の次は二番、二番の次は三番――縁を結び、その縁を持って次の寺へ。
 そうやって“八十八人全員の縁を結び繋いでいく”ことが「八八さん」の力を取り戻す方法だった。
 付言すると、縁の結びつきの強さは「八八さん」の力――すなわち結界を守る力の強さに比例するらしい。
 つまり、結界を守る力を強めるには強く結びついた縁が必要だということで――ただ、ここで少し厄介なのは、それぞれの寺に棲む「八八さん」同士を強い縁で結ぶには、その仲介人(つまり俺たちだ)の縁も強くなくてはならないという――そこで、先刻のあゆみの台詞に繋がってくる。
「でも、強い縁って一朝一夕でできるものじゃないよね?」
「普通はまあ、そうだよな。だったら、どうするんだ?」
「そこで、恵がさっき言うたことをするんよ」
「俺が言ったこと?」
「仲良くなる――つまり、『八八さん』とお友達になればいいんよ!」
「…………ほう」
「でね、お友達になるには、相手のことを知るのが一番やと思うんよね!」
 と、あゆみは言った。言い切った。
 俺はその発想に少々戸惑いながら、
「……で、『八八さん』と友達になることと、きちんと参拝することって何か関係があるん?」
「大ありやけん!!」
 間髪入れず、これまたきっぱりと言い切るあゆみだった。

      ◇

「『八八さん』はお寺に棲んでるわけだけど、つまり、お寺を拠り所にして――あれ? 依り代って言うほうがいいんかな……? とにかく、お寺に棲んでるんよ!」
「ふむ……」
 説明になっているのかいないのか微妙なラインの説明に、俺は曖昧な返事をする。
「やけんね、『八八さん』はそのお寺と強い繋がりがあると思うんよ!」
「それで『八八さん』を知るには、まずはその棲み処(すみか)を知れってこと……?」
「そう!」
「だから、きちんと参拝して納経帳に朱印をもらって、ついでに寺の歴史とか諸々学んだほうがいい、と……?」
「そう!!」
 あゆみは「正解!」と親指を立てる。
「おめでとう! やっと答えに辿り着いたね!」
「やっとな……」
 こうして、俺がぽろっと口にした“丁寧に参拝する必要があるのか”という問題の解は導き出されたのだった。
 解はいたって簡単なものだったが、そこに至るまでが長かった。マジで長かった。
 なにせ、半分以上はあゆみの説教だったわけで。
 最初のうちは確かに“『八八さん』と仲良くなるには”という題で話し合っていた。
 それが何かのはずみで「恵はもっとやる気を出さないかん!」みたいなことを、あゆみが言いだして、あれ? なんか雲行きが怪しくなってきたなあ、と思っている間にあれよあれよと話が脱線して、最後のほうはお互い何がなんだかわからない状況になっていた。
 とにかく、戻ってこられてよかったよかった……。
「さてと。無事、恵に参拝の大切さをわかってもらえたところで、納経所に行こっか」
「おー……」
 よろよろとあゆみの後について納経所へと向かう。
 その途中で、
「あのね。この巡礼の目的は“結界を守る力を取り戻すために『八八さん』を探すこと”やけど、恵にはそれとは別に、お遍路さんとしての目的を持って、ちゃんとお遍路をしてほしいと思うんよ」
 と、あゆみが言った。
「? どゆこと?」
「ほら、恵のおじいさんが言いよったやん。『いつか恵にはお遍路を勧めたいと思うとったんよ』って」
「ああ、言ってたな」
「あたしは恵に“『八八さん』探し”を手伝ってほしくて誘ったんやけど、おじいさんは別の目的があって恵をお遍路に行かせようと思ってたはずなんよね」
「別の目的って?」
「上手く言えんのやけど……おじいさんは恵に、誰かの付き添いやなくて、恵は恵の目的を持って、一人のお遍路さんとしてお遍路にでかけてほしかったんじゃないかなって」
「ごめん。いまいち意味がわからん」
「そう、だよね……。あたしも何て言うたらいいか、上手く言葉にできんけん……」
 うにゅぅ、と不思議な呟きをもらしつつ項垂(うなだ)れるあゆみ。
 それから暫く考えていたようだが、途中で嫌になったのか、
「うん、今言ったことはなし! 全部忘れてやね!」
 と、いろいろなかったことにした。その潔さは見習いたいと思った。
「ただね、恵は何かとやる気が見えんけん」
「おっと。君はまた、その話をぶり返す気かい?」
「もう、またそうやって茶化すように言う……」
 今から言うことは真面目なことなんよ。と、あゆみは口をとがらせた。
「モチベーションを上げるためにも恵は“あたしの付き添い”以外の目的を持ったほうがいい気がするんよ」
「つってもなあ、お前に付き添うのが目的で、実際それ以外はないんだが……」
 もしあゆみと出逢っていなければ、今頃はじいちゃんの家で小説を読みながらだらだら過ごしていたことだろう。
 と、正直に言ったのがまずかったらしい――少女の表情が一気に険しくなった。
「だ・か・ら。それじゃあ、いかんのやって!」
「いや、いかんって言われても」
「はっきり言うけど、恵は八十八箇所を巡るってことを軽く考えすぎやと思う!」
「別に軽く考えてはないって」
 まあ、重く考えていたかと問われれば、それは明らかに「ノー」なのだが。
 しかし、このままでは説教タイム再来の予感。
 俺はあゆみをなだめる言葉を考えた。
「あのさ、心配せんでも途中でやめたりせんし。これでも自分が言ったことぐらいは守るぜ、俺」
 真顔で言った後、言い過ぎたと思った。
 ので、逃げの口上を先に述べておこうと口を開いた矢先、あゆみが「ふふ」と笑った。
「わかった。あたしは恵を信じる」
「……………………」
 かつて、これほどまでに、真っ直ぐ他人を見つめて「信じる」と言った誰かを見たことがあっただろうか。いやない。
 思わず反語法を用いてしまう程度には驚いた。
 不意打ちを食らったと言ってもいい。
 それ以上に、退路を断たれた気分だった。
 とてもじゃないが、今さら「場合によるけど」なんて言葉は言い出せない。
 ……でも、まあ。
 八十八箇所の寺を巡るだけだ。日数にして十日、長くても二週間あれば終わるだろう。
 だから、そんなに気負う必要は――
「八十八箇所のお寺を歩いて巡り切るには、それなりの目的と覚悟がないとしんどいって思っとったけど、恵は大丈夫みたいやね!」
「…………はい?」
 今、何ておっしゃいました?
 訊き返そうとしたところで納経所に着き、この話は一旦そこで中断した。

      ◇

「納経帳への納経は三百円ね」
 作務衣姿の男から墨字と朱印の入った納経帳を受け取って、俺は三百円を手渡した。
 朱印は納経帳以外にも掛け軸や白衣に捺(お)してもらえるが、その納経代は次のように決まっている。

   一、掛け軸への納経、五百円
   二、納経帳への納経、三百円
   三、印取り白衣(巡礼着とは別に朱印をいただくための衣)への納経、二百円

 ところで、納経とは読んで字のごとく経を納めることだが、納経帳に朱印をもらうこともまた納経と言うらしい。
 だとすれば、経を納めて、その証として朱印をもらうまでをひっくるめて納経と言うのかもしれなかった。
「恵? 納経帳をじっと眺めてどうしたん?」
「ああ――いや、この墨字って何て書いてんのかなって思って。これ、読めたりする?」
「えっとね、右のが『奉納』って文字。真ん中はご本尊さまを表す梵字とお名前、そして左はお寺の名前が書かれとるんよ」
「なるほど。言われてみれば読めなくもない……。あと、こんな紙をもらったんやけど、これは何なん?」
 そう言って、俺は仏が描かれた紙をあゆみに見せた。
「それはご本尊さまの御姿で、御影札(みえいふだ)って言うんよ。ぞんざいに扱ったりしたらいかんけんね」
 この御姿は納経帳に貼ったり、御影帳という専用の本に綴(と)じて保管するそうだ。結願後、八十八枚揃ったところで掛け軸に表装したりする人も多いのだとか。
「――ところでさ、さっきの話やけど」
 納経をすませ、納経所を出て参道を歩きながら、俺はあゆみに話しかけた。
「さっき、八十八箇所を歩いて巡るとか言ってなかった?」
「うん、言うたよ」
 ……即答だった。
「それってバスとか電車とかはたまたタクシーとかあるいは貸自転車なんかも一切使わず千キロ以上の距離を延々てくてくてくてく歩いて巡るってことだよな?」
「うん」
 またしてもあっさり答えるあゆみだった。「どうでもいいけど、恵ってえらい舌が回るよね」と、本当にどうでもいいところに感心を示されてしまった。
 しかし。そうか、歩いて巡るのか。この車社会の時代に……。
 些かへこみ気味の俺にあゆみが言う。
「距離やけど、正確には千二百とか千三百キロくらいかな?」
「そんなマイナスにしかならん情報はいらん……」
 はあ、と思わず溜め息が出る。
「ところで、歩きなら何日ぐらいかかるんかな?」
「目標は四十日!」
 うわ、夏休み終わるじゃん。
 夏休みをすべて歩くことに費やす高校生というのは、はたして健全な高校生だと言えるのかどうなのか。
「やけんね、“付き添い”程度の動機で巡り切れるかちょっと心配しとったんよ。でも、『自分が言ったことぐらいは守るぜっ!』って、はっきり言うてくれて安心したけん」
「いや、あのな……。それは歩きって聞いてなかったからで……。と言うか、俺はそんな気合いを入れて言った覚えはねえ!」
 勝手に「っ!」を足すのはやめてほしい。
「恵なら大丈夫だよ」
 にっこりと笑う遍路服の少女。
「大丈夫って信じとるけん」
 その言葉に、またもや何も言えなくなる。
 なぜだろう。一度目の「信じる」は嬉しいものだが、二度目になると脅迫の言葉にしか聞こえないのは……。
 もっとも、そう思ってしまうのは、できるかどうかわからない約束を、その場しのぎで口にした後ろめたさがあったからで――あるいは、彼女の言葉には裏がなく、純粋に俺を信用してのことだとわかってしまったからかもしれない。
 何にせよ覆水盆に返らずというか、後の祭りというか、六日の菖蒲十日の菊というか、この期に及んで自信がないとは言えそうになかった。……はあ。
「……そうだ。そもそも、なんで俺なんだ?」
「何が?」
「“『八八さん』探し”の手伝いに、なんで俺を誘ったのかってこと」
 これもまた今さらな質問だった。
 それを訊かないまま、ひょいひょいついてきた俺自身にも「なんで?」と問いたいが、さておき。
 あゆみは、
「恵は生まれながら『八八さん』と繋がりがあるけん」
 と、言った。
「繋がりが、ある……?」
「だって、恵は『八八さん』が視(み)えるんやろ? あたしや普通のヒトと違って」


     /4

 八八さん。
 それは『四国結界の伝説』に登場する結界の守り人。
 八十八の寺に棲むその守り人は、皆(みな)、少女の姿をしているという。もっとも、その姿は普通の人間には視えないので本当かどうかは定かではない。
 それでも、四国を包む結界は確かに存在し、それを守る存在もまた確かに在(い)るのだと、じいちゃんは幼い俺によく話して聞かせてくれた。
 ただ、『四国結界の伝説』は世間的にかなりマイナーな類で、事実、じいちゃん以外の口からその話を聞いたことはなかった。
 実はじいちゃんの創作だったと暴露されてもたいして驚きはしないだろうが、そうではないとあゆみと出逢って証明された。
 ならば“忘れ去られつつある伝説”といったところか。
 ともかく、いずれにしたって所詮は伝説だ。
 そこには誰かの脚色が含まれる――“こうあればいいのに”という希望が含まれる。
 だから俺は、結界の存在を信じてはいなかった。
 目に視えないモノは信じられない――簡単な理由だった。
 ではなぜ。
 そんな俺があゆみと一緒に四国を巡ることにしたのか。結界を守る力を取り戻すために結界の守り人を探すという話をしていたのか。
 それもまた、簡単な理由だった。
 じいちゃんとあゆみの二人に押し切られたから――ではない(いや、まあ、それも往々にして十分すぎる理由ではあるのだが……)。
 では、徴と呼ばれるあれらに気づいてしまったからか――それは少なからず関係があるかもしれない。だが、些か強引ではあるが、“気のせい”だったとして忘れてしまってもよかった。
 だったら何が――それこそが結界の守り人の存在だった。
 結界は信じないと言いつつその守り人だけ信じるというのは、我ながら矛盾の塊みたいな主張だが。
 なので言いわけ程度に言うならば、俺は結界を守る存在を信じているわけではない。
 単に、知っていただけだ――それらが「八八さん」と呼ばれているとか、結界を守っているとかは関係なく――ただ、識(し)っていたにすぎない。
 寺にはヒトには視えない“ナニカ”が棲んでいるということを。

      ◇

「ねえ、『八八さん』らしい人はおった?」
 境内を二周したあたりで、あゆみが訊いてきた。
「いや。多分、いなかったと思う」
 そもそも視える視えない以前に、霊山寺の「八八さん」がどのような姿をしているのか知らないので探しようがないというのが正直なところだった。
 そう伝えると、あゆみは「恵なら見たらわかると思うんやけど」と、些か無責任なことを言った。
「つか、お前は本当に視えんの?」
「視えるんやったら、わざわざ恵に頼んだりせんやろ」
「それもそうか……。でもさ、そんなんで仲良くなんかなれるん?」
「うん。それは心配無用やけん。恵が『八八さん』を見つけさえしてくれたら大丈夫」
 “これ”の力を借りるけんね。と、あゆみは一枚の紙切れを取り出した。
 黒い札。
 それは白い線で縁取りされ、その中心に目らしい図形が描かれていた。
「これはね『可視の札』って言うて視えないモノを視えるようにする力があるんよ」
「また怪しいものを……」
「怪しくなんかないけん。れっきとしたあたしの仕事道具なんやけん!」
 その台詞からすでに怪しいことに彼女は気づいていないようだ。
「しかも、この『可視の札』はただの『可視の札』じゃないんよ! 『不可視』の能力を付与した特別製なんやけんね!!」
「何を言っているのかわからんのだが」
 普通のヒトには視えないという「八八さん」――その姿を「可視」の効果で視えるようにしたうえで、自分たち以外の目にはとまらないように「不可視」で隠すという二段構造なのだそうだ。
 そんな説明をされたところで、俺は「ふうん」としか答えられなかった。
「みかん山で使ったヤツとは違うん?」
「うん。あれは『浄化』するための――って、訊いておきながらそっぽを向くとか、人の話はちゃんと聞かんと!」
「あ――ああ、ごめん。ただ、今ちらっと」
 変な着物姿の女の子が通り過ぎたような……?
「え、変な女の子? どこに?」
「塔のほうに向かって歩いてる。ほら、お遍路さんがいっぱいおる塔があるやろ」
「うん、多宝塔のことやね」
 多宝塔とは、日本で建立された仏塔のうち、上層が円形、下層が方形の二重形式の塔のことで、この塔形は日本へ仏塔を伝えた中国や朝鮮半島にはなく、日本独自のものとされている。
 霊山寺の多宝塔は、本堂とあわせて明治の火災を免れた建造物で六百年前の姿を現在に残し、そこには五智如来(ごちにょらい)像が祀られている――五智如来は、五大如来とも呼ばれ、密教における五つの知恵(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)を五体の如来にあてはめたものだそうだ。
「でも、着物の女の子なんかおらんよ?」
 あゆみは伸びたり屈んだりして塔のほうを凝視する。
「そんなに目を凝らさんでも、あんなに目立つのに……」
「言うても、おじいちゃんおばあちゃんのお遍路さんばっかりやん」
 最近ではバスツアーを利用して四国巡礼をする人も少なくはない。目先の十数人の団体お遍路さんも、おそらくツアーで巡っている人たちなのだろう。
 その白衣集団の中に、同じ白い着物とはいえ朱色の襟と金糸の帯で彩られた女の子の姿は際立って見える――それ以上に、日常的に見かけることのない“桜色の髪”は遠くからでも否応なしに目についた。
 だが、あゆみはそんな子はいないと言う。
 そう言えば、周りのお遍路さんたちもその子に気づいていない風だった。
「……もしかして、あれが『八八さん』、だったり?」
「! きっとそうやけん!!」
 あゆみの声に人の視線が集まる。
 おい……。結界とか「八八さん」に関することは秘密裏に行うんじゃなかったっけ? ――という突っ込みはとりあえず置いておいて、その声に女の子が振り返った。
「あ、こっち向いた。と思ったら、一目散に塔の裏手に走ってった……」
「恵! 急いで追いかけて、このお札を渡して!」
「は?」
「手渡してくれるだけでいいけん!」
 と、あゆみは黒い札を俺に握らせた。
「お、おう」
 俺は急な展開に狼狽(うろた)えながらも、急いで女の子の背中を追いかけた。
 お遍路さん集団をかきわけて、多宝塔の前に植えられた「淡墨桜(うすずみざくら)」の苗木の脇を通り、塔の裏側へと回る。
「うわっと」
 角を曲がったところで、慌てて立ち止まった――そこに、彼女が居た。
 腕組みをして仁王立ちする小さな体躯。
 白い着物は、よく見れば裾にいくほど墨色に薄くグラデーションがかって、所々に桜の刺繍が施されている。
 赤い襟には蝶と鳥。
 金色の帯には菱形の文様が描かれ、どちらも寺の門や本堂に張られた幕に描かれたものと同じ柄だった。
 その着物から、それとなく“寺に関係がある者”だとわかる。
 同時に、桜の精かとも思った。
 桜の花を模(かたど)った髪飾りと、緩やかに巻いた薄い桜色の髪がそんなイメージを抱かせた――“綺麗”というより“愛らしい”という言葉が似合う女の子だった。
 俺の胸ぐらいの高さから、その子はじっと視線を向けている。
 赤い光を宿した大きな目を二、三回瞬きさせて、彼女は口を開いた。
「え? なに、なに? 私が見えるの? 超キモいんですけど」
「…………」
 開口一番がソレかよ……。超傷つくんですけど……。
「え、えっと。君が、『八八さん』……?」
「ええ、そうよ」
 意外なほどあっさりと、簡潔な答えが返ってきた。
 何か文句ある? と言いたげな面持ちの小さな女の子に怯(ひる)む俺。
 初見で“愛らしい”と思ったのは間違いだったようだ……。それよりも、何だかんだで幼い頃から思い描いていた「八八さん」のイメージとギャップがありすぎて戸惑いを禁じ得ないのだった……。
「で? わざわざ私を追いかけてきたのはなぜかしら?」
「あー……、詳しい説明は連れがするんで、とりあえずコレを……」
 そう言って、俺はあゆみから渡された黒い札を差し出した。拒否されるんじゃないかと思ったが、彼女は何も言わず札を受け取ってくれた。
 女の子の指が札に触れると同時に、
「わあ、あなたが『八八さん』なんやね! カワイイー!!」
 と、あゆみ登場。
 女の子は現れ出た遍路服の少女を面倒くさそうに一目すると、手にした札をひらひらと振り動かす。
「これ、貴女のお手製? 結構いい腕してるじゃない。そっか、もう少し先かと思ってたけど、もうそんな時――」
「あのね、『八八さん』!」
 女の子の言葉を遮るように、あゆみは例の古びた青い本を取り出して言った。
「……何よ?」
 口をはさまれて女の子は憮然とした顔をしていたが、あゆみの言葉を聞いてまた表情を変えた。
「結界の異変を報せる徴が顕れたんよ。やけんね、この本を手掛かりにして『八八さん』に――あなたに、逢いに来たんよ」
「…………そう」
 女の子は大きく溜め息をつく。
「あーあ。やっぱり結界に影響が出ちゃってんじゃん。あのハゲ、私たちを放ってどこをほっつき歩いているのだか」
「あのハゲ?」
 あゆみが怪訝そうに首を傾げる。
 女の子は「こっちの話よ」と言って、あゆみから例の本を受け取ろうとしたが、ふと、その手を止めた。
「私、お腹空いた」
「え?」
 きょとんとするあゆみ。
「だからお腹が空いたの」
「あ、ええっと。それじゃあ、飴でも舐める?」
「そんなの要らないわ。て言うか、子供扱いしないでくれるかしら。ムカつくんだけど」
「あぅ……」
 あゆみは困惑しきった顔で俺のほうを振り返った。
 ……はいはい。
 ひとっ走り行ってきますよ。

      ◇

「えー、何これ」
 女の子が言った――その目の前には、うどんのどんぶりが一つ置かれてあった。
「どうせならもっと気の利いたものを買ってきてよね」
 わざわざ店まで買いに走った人間に向かってこの暴言である。言うべきことは他にあるだろうが。と言いたい。
「まあいいわ。食べてあげるから感謝しなさい」
「…………」
 ……コイツ、もしかしたら俺に何か恨みでもあるのかもしれない。もっとも恨みを買うような真似をした覚えはないのだが。
 だが、何だかんだ文句を言いながらも、あっという間にどんぶりを空にする女の子――よほど空腹だったのだろう、その食べっぷりは見ていて微笑ましかった。
 女の子はスープの一滴も残さず完食した後、
「ご馳走様でした」
 と、礼儀正しく手を合わせて、どんぶりを脇に置いてから俺たちに視線を戻した。
「――で、結界の話だったわね」
「あ、うん」
 あゆみが頷く。
「徴が顕れたって言ったけど、それはいつから?」
「半年ほど前から。それで今回、あたしが“山を下りる”ことになったんよ」
「ふうん」
 女の子は値踏みするような目であゆみを見る。
「なのに『可視の札』を使わないと“私たち”の姿が視えないのよね。ま、そんなだからソレを連れてるんだと思うけど」
 変なの。と、彼女は呟いた。
 正直、俺には二人が何を話しているのかさっぱりわからなかった(ソレというのが俺を指しているらしいことはわかったのだが)。おかげで、下手に口をはさむこともできず、黙って二人の様子を見ているしかなかった
「――話が逸れたから戻すわよ。結界を元に戻すためにここに来たって話だけど、具体的な手立てはあるのかしら?」
「うん。それについては、この本を見てほしいんよ」
 あゆみは改めて『四国八十八結界』と題字の入った本を差し出した――女の子はそれを受け取って、ぱらぱらと無造作にページを捲(めく)った。
「へえ、また懐かしいものを探し出してきたものね」
 暫くして、女の子は本を閉じると、顔を上げて言った。
「ここに書いてある方法なら、結界の弱まった力を元通りに修復できるわ」
「本当?」
「ええ。て言うか、アイツが行方をくらませている以上、この方法に頼るしかないってのが正直なところだけど」
「?」
「こっちの話よ。いちいち気にしないでくれる? ところで、この本はどこで見つけたのかしら? 貴女が“受け継いだ”の?」
「ううん。それは恵のおじいさんの家にあったんよ」
 あゆみはそう言って俺を見た。女の子もつられるように顔を向ける。
「ふうん……。貴方、名前は?」
 姓のほうね。と付け加える女の子。
「え。幸野、だけど……」
「そう。なるほどね」
 彼女はそれだけ言うと、あとは興味がないと言わんばかりに視線を逸らせる。
 俺としては何が“なるほど”なのか気になったが、訊いたところで「こっちの話よ」と一蹴されるのがオチのような気がして、あえて何も言わなかった。
「そうだ。結界のことで一つ助言してあげる。貴女、余ってるお札ある? できれば無地のほうがいいわ」
「一枚でいいんかな?」
「ええ」
 女の子は真っ新(まっさら)な札を受け取ると、指でなぞるように線を引いて、それをあゆみへ返した。
「これは?」
 あゆみが受け取った札を覗き込む。
 そこには「淡桜」の二文字が浮かび上がっていた。
「たん……ざくら……?」
「『あわざくら』って読むの。私の名前よ。本人直筆の名入りのお札は出逢った証。そのお札を持っているだけでも十分“縁結び”にはなるだろうけど、さっきの古文書を媒体にすれば、きっとより強い縁を結べるはずよ」
 淡桜と名乗った女の子は、例の本――古文書に札をかざすように指示した。
 言われるままに、四国の地図が描かれたページを開き、札をかざす。
 すると、札は古文書に吸い込まれるように溶けていき――そして、一筋の光が地図上に点(とも)った。
「わあ!」
「おお!」
 二人して思わず声を上げた。
 光が点った位置は徳島県の北東部――ちょうどこの霊山寺がある場所だった。
「これで私との縁が目に視えるかたちで繋がったわ。この光の強さが縁の強度だと思ってくれていいから。あとは“妹たち”に逢って、同じようにお札をこの地図上に括(くく)るといいわ」
「すごーい! ありがとう、淡桜さん!」
「別にお礼を言われるまでもないわ。これから貴女たちには、アイツに代わって働いてもらわなきゃならないんだから。これくらいの協力はするわよ」
 ご飯をご馳走になったし。と、少し照れたように付け足した。
「そだ、淡桜さん」
 何かを思い出したようにあゆみが言った。
「さっき“妹たち”って言いよったけど、『八八さん』ってみんな姉妹なん?」
「ええ。八十八人姉妹。私はその一番上で、下に八十七人の妹がいるわ」
「うわあ、大家族なんやね」
 目を丸くするあゆみ。
 それには俺も素直に驚いた。正確にはときめいた。
 妹八十七人――妹十二人の七倍以上じゃんか!!
 …………あ。でも、そうか。
 この子が長女なんだよな……。
 姉似の妹だったらイヤだな……。
 そう思った瞬間、上がりかけたテンションが急降下した。
 ついでにふと、あることに気がついた。
 今しがた、つい「この子」と言ってしまったが、目前の女の子が『四国結界の伝説』に登場する結界の守り人と同一の存在だとするならば、自分よりも遥かに長い時間を生きているはずなのだ。
 ともすれば、そんな彼女を「この子」とか「女の子」と呼ぶのは失礼ではなかろうか。
 確かに見た目は十歳そこそこの小さな子供だが、長幼の序(ちょうようのじょ)に従うなら、やはりあゆみと同様に、ここは「淡桜さん」と呼ぶべきか――……
「そんなの、何だっていいわよ」
「――――っっっ!?」
 いきなり声をかけられて、声にならない声が口から出た。
「別に、『淡桜さん』でも『淡桜様』でも『淡桜たん』でも私は構わないけど」
「え、あ? ええ!?」
「あはは。恵、もしかして声に出とるん気づかずに考え事しよったん?」
「声にって――マジで!? ち、ちなみに、どのあたりから、その、聞いて……?」
「長幼の序云々ってとこからやけん」
「そ、そっか……」
 妹八十七人云々は聞かれていないようで、ほんの少し安心する俺だった。
「て言うか、私たちが結界のことで真面目な話をしてる間、一人でそんなくだらないこと考えてたの?」
 呆れた。と、言葉通り心底呆れた様子で溜め息をつく小さな長女。
「もちろん貴方たちより歳は上だし、子供扱いされるのはムカつくけど、だからって呼び捨てにされたくらいで怒ったりはしないわよ。呼び方なんか好きにすればいいし、そんなに呼びたいなら『淡桜たん』って呼べば?」
「いえ、お断わりします。淡桜さん」
 なんでよりによって「淡桜たん」チョイスなのかと小一時間。
「……本当は呼びたいくせに」
「呼びたかねえよ!」
「ふうん」
 ま、どうでもいいけど。と、淡桜さん。
「そんなことより、そろそろ次の札所に向かったほうがいいと思うけど? あっという間に一日が終わってしまうわよ」
「そうやね。今日は六番まで巡るつもりやけん急がな」
「それじゃ、気をつけて巡りなさいよ」
「ありがとう、淡桜さん! またね!」
 こうして。
 俺とあゆみは、結界の守り人「八八さん」の一人――八十八人姉妹の長女・淡桜さんと縁を結び、第一番札所・霊山寺を後にした。


   残り札所 八十七
   結んだ縁 一

つづく


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