第三話<金泉寺>

文章・絵:SHIZUMU(OpenDesign) 制作:OpenDesign


極楽寺から金泉寺への道しるべ

「恵ってさ、適応力あるよね」
 第二番札所・極楽寺(ごくらくじ)を出て次の札所へ向かう途中、あゆみが唐突にそんなことを言った。
「そうかな?」
「うん。淡桜(あわざくら)さんや二葉(ふたば)さんと出会ったときも、なんていうか、普通やったし。全然驚いた感じせんかったもん。最初に結界の話をしたときだって、あっさり信じてくれたでしょ?」
 そもそも、俺があゆみと一緒に巡拝することを比較的すんなり決めたこと自体、あゆみにとっては意外だったらしい。
「普通の人やったら、こんな得体の知れない――とまでは言わんでも、見ず知らずの人の頼みなんて聞いてくれんけん」
 あゆみはそう付言した。成程、自分が得体の知れない人だという自覚はあったのか。
「恵はなんで手伝ってあげよう思ったん?」
「なんでって」
 それはどっかの誰かが半ば強制的に連れ出したからに他ならないが。
「……別に。どうせ暇やし。じいちゃんにも行けって勧められたし」
「ふうん、そっか」
 あゆみは、にぱっと笑顔を見せる。
「恵は優しいね」
 そんな会話をしながら歩くこと三十分強、目前に朱塗りの立派な門が姿を現した。第三番札所・金泉寺(こんせんじ)だ。


金泉寺/仁王門+極楽橋・境内・本堂

 亀光山(きこうざん)釈迦院(しゃかいん)金泉寺(こんせんじ)。
 寺伝によると、古くは聖武天皇(在位724年~749年)の勅願により、行基が本尊を刻み、「金光明寺」と称していたが、弘法大師・空海が巡錫(じゅんしゃく)でこの地を訪れた際、水不足解消のために井戸を掘ったところ黄金井の霊水が湧出し、そこで寺号を「金泉寺」と改めたとされている。
 その後、亀山天皇(在位1259年~1274年)の信仰が厚く、京都の三十三間堂(蓮華王院)に倣った堂社を建立し、千躯の千手観音を祀った。そして背後の山を「亀山」と名付け、山号を「亀光山」とした。以来、皇室との縁も深く、本堂裏には長慶天皇(在位1368年~1383年)の御陵がある。

 俺たちは仁王門に一礼した後、境内へと入った。
 さっと吹き抜ける風が心地良い。お寺には外とは違う独特な雰囲気が漂っている気がする。そんなことを考えながら、何の気なしに後ろを振り返った。
 そして目にする門の裏側。
 左右の柱には、現代的な洋風のドア――板チョコみたいなヤツだ――が、貼りついていて不調和極まりない。折角の雰囲気が台無しだ!
「恵、どうかしたん?」
 立ち止まっていると、先を歩いていたあゆみが引き返してきた。
「いや、悪い。なんでもない」
「そう? なら早く行こう」

 弧を描いた長さ一メートル半の極楽橋を渡ると、正面に本堂が見える。
 本堂前はお遍路さんの団体で賑わっていた。その間をかきわけて納札箱にお札を納め、お経をあげたところで、あゆみは思い出したように聞いてきた。
「ねえねえ、おじいさんから白衣貰わんかったっけ? 着ないの?」
「ああ、なんか着るのが恥ずかしいけん、まだ鞄の中に――」
 俺はあゆみに答えようとして、途中で言葉を切った。
――あれ。鞄ってどこに置いたっけ?
 今更ながら自分が手ぶらであることに気付く。
 財布はズボンのポケットに入れていたし、納経帳やお線香はあゆみが預かっていて必要なときに出してくれていた。だからといって、今の今まで鞄の存在を忘れていたとは何とも間抜けな話である。
 と、悠長に思い返している場合ではなかった。
 スポーツブランドのロゴが入った、大きめの肩に掛けるタイプの鞄。中には白衣のほかに、着替えや予備の旅費が入った封筒、そして何か大事なモノを詰めたような……。
 祖父の家から持って出たのは覚えている。ということは電車の中だろうか。荷物棚に置き忘れたのかもしれない……!
「そんな慌てんでもいいよ、あたしが持っとるけん」
 取り乱す俺の姿が可笑しかったのか、あゆみはクスクス笑っている。
「え?」
「白衣着るなら出すけど。あ、でもここは人が多いけん、少し離れよっか」
 そう言って歩き出すあゆみの後を、俺は意味がわからないまま追いかけた。


金泉寺/境内(あゆみ)

 あゆみは境内の隅まできて足を止めた。そして今度は着物の袖をゴソゴソとまさぐり始める。まさか……。
 そう、そのまさかだった。
 ずるりと、袖の中から青色の鞄――明らかに袖に収まるような大きさではない――が落ちる。
「なにそれ、四次元ポケット?」
「ううん、違う違う」
 あゆみは慌てたように、そして少し困ったような表情をして否定する。
「『次元を開く』なんてそんな上級なお札、あたしにはまだ扱えないよ」
 ほむ。それは言い方を変えると、某青タヌキもといネコ型ロボットの道具よろしく何でもありな力を秘めたお札とそれを行使できる人が、この世界のどこかに存在するということだろう。なら、今回の結界修復もその人たちに任せればすぐに解決するのではないだろうか。
「そう簡単にはいかんのよ。お札の力も万能やないけんね」
 俺の思いつきに、あゆみは真面目な顔で答える。
「ま、お札についてはまた今度教えてあげるけん。ところで、これ」
 あゆみは脱線しかかった話を元に戻すように、取り出した鞄を抱き上げた。
「えらい重いけど、何を入れてるん?」
 あゆみが使うお札では、「体積」を無にできる――厳密に言えば、限りなく無に近付けることができる――けれど、「質量」は変えられないらしい。
 ということは、俺は女の子に荷物を持たせたままずっと放置していたことになる。
「ごめん! てか、言ってくれたらええのに」
 慌てて鞄を受け取る。あゆみは、歩けんほど重いわけじゃないけん大丈夫だよ、と笑って答えてくれたが、そういうわけにはいかない。今度から置き忘れないように気をつけなければ。
 そして改めて鞄に目をやる。
 破れてしまいそうなくらい不自然に膨れ上がった鞄。はて、こんなに荷物を詰めた覚えはないのだが。疑問を抱きながらファスナーに手を伸ばした。


たいさん

「ぎゃあああああああ」
 ぼふっと湯気を上げながら出てきたのは、巨大な蒸しみかん――いや、みかんの形をしたタヌキだった。
 二人して狼狽(うろた)えながらも、すぐさま鞄の中から引っ張り出した。たいさんは目を回してぐったりとしている。
「水! 水があるところ探して、冷やしてくる!」
 あゆみはそう言うと、たいさんを抱えて駆けていった。
 俺は、あゆみの背中が視界から消えるまで見送ると、ようやく緊張が解けて一息ついた。
 何か大切なことを忘れている気がしていたが、そうだ、たいさんのことだった。松山駅のホームでたいさんを見つけて、咄嗟に鞄へ詰め込んだのだ。この真夏の気温の中で、六時間以上も密閉状態……よく生きていたな。

「こら、何をそんなにはしゃいでいるんだ。騒々しい。」
 不意に背後から声をかけられて飛び上がりそうになる。振り返ると、よく日に焼けた小柄な男が立っていた。
「あ。すみません」
「いや、別に謝らんでもいいけどな。ただ他の参拝者もいる手前、迷惑になるような真似はしたらいかんと言っておきたかったのよ」
 最近、若者の巡礼マナーが気になってな、と男は肩をすくめた。
 そして、男は静かに諭す。
 自分たちが参拝に訪れるお寺の周りにも、暮らしている人々がいるということ。その人たちの生活が第一であり、自分たちはそこを旅させてもらっているんだという気持ちを忘れてはいけない、と。
 俺は黙って頷いた。その様子に男も軽く頷いて、そして話題を変えた。
「で、どこから来たんよ?」
 その後は「遍路は初めてか」とか「一人で巡っているのか」とか、激しい質問攻めが開始された。あゆみ、早く帰ってきてくれ。
 そんなことまで聞くのかよ!と思わずツッコミを入れたくなるような事項を含め、散々聞かれまくったが、ただ一点だけ聞かれなかったことがあった。俺がなぜ巡礼をすることになったのか、その理由についてだ。
 気になって逆に質問すると、男は笑いながら答えた。
「遍路に出る理由は人それぞれよ。それを聞くような無粋な真似はしちゃいけねぇな」
 その人と親しい間柄になって、ちゃんと受け止められるようになれば別だけどな、と付け加えた。
「ところで、ちゃんとお参りは済ませたのか?」
「ええ。納経所に行くのはこれからですけど」
「護摩堂の天井絵は見たか? ほれ、本堂の横にある建物の」
 いいえと首を振る俺に、男はそれはいかんなぁと大袈裟に頭を抱えた。
「参拝というものはな、ただ形式的に賽銭をあげて納経帳に印をもらって終わりじゃねぇ。その寺にしかない文化財を見てだな、いろいろなものを知ることで、ようやく参拝の本来の意味がわかるってもんよ」
 そして始まる、男による金泉寺境内ツアー。


金泉寺/本堂+弁慶の力石・観音堂・倶利伽羅龍王

 俺は、まず本堂の左側にある護摩堂へ連れていかれた。格天井に美しい花鳥図が描かれているのだとか。
「当時の姿を残す花鳥図が現存するお寺は、八十八箇所の中でも珍しいからな、よく見ておきなよ」
 男に促されて、閉ざされた扉に顔を近づけて隙間から中を覗きこむと、成程、鳥の羽らしきものが見える。ただ残念なことに、その中は暗すぎてどこがどうなっているのか全体を把握することはできなかった。
「あ。恵、ここにいたんだ」
 護摩堂のすぐ手前にある慈母観音子安大師――すこやかに育てと願う親心の観音菩薩。いまも人生の開運を願う参詣者が多く訪れる――を見上げていると、聞きなれた声が近付いてきた。
「たいさん、納経所で休ませてもらってる。少し寝かせておいたほうがいいって、お寺の人が部屋を貸してくれたんよ。あれ、ところで……こちらの方は?」
「お寺マスター」
「え? お寺マスターさん?」
 巡礼マナーや札所について詳しい人で、今は境内を案内してもらっているのだと説明した。ちなみに「お寺マスター」の称号は俺が勝手につけただけで、男が自らそう名乗ったわけではない。
「そうそう。納経所から戻る途中にね、『弁慶の力石伝説』って札が立てられた石があったよ」
「ああ、この寺は源義経が立ち寄ったと言われているからな」
 あゆみの言葉に、男は解説を加える。
 『源平盛衰記』に、元暦二年(1185年)に源義経の軍が屋島に向かう途中、本寺に寄り勝利を祈願したとある。このときに弁慶が持ち上げたというものが「弁慶の力石」で、弁慶の人並み外れた力量を自軍の前に示し、士気を鼓舞したのだろう。
「この寺の観音様はとても運が強いのだと。義経が戦勝祈願に立ち寄ったのも肯(うなず)けるってもんだ」
 その観音様――聖観音、別名・勝運観音と呼ばれる――が祀られている八角観音堂、その左隣に寺号の由来となった黄金の井戸、そして閻魔堂が並んでいる。
 そこからさらに左へ、反時計回りに視線を移すと、大師堂、満願弁財天、弁天社、倶利伽羅龍王、そして六地蔵が配置されている。
「あの六地蔵の奥に見える塔はなんですか」
 あゆみは、六地蔵の道の先を指さして訊ねる。ちょうど本堂の後方にあたる場所に朱塗りの多宝塔が鮮麗に輝いている。
「あの派手なのは個人のお墓。その下に長慶天皇の御陵があるから見てくるといい」

 実際に近くまで行くと、塔のほうには個人のものとわかる名前が彫られていた。そして、その下にある小祠が長慶天皇御陵。
 御陵石には菊花の紋章が刻まれており、「南朝長慶帝寛成尊太上天皇御陵」應永五年三月十九日崩御御壽五十三歳とある。
 長慶天皇については、南朝関係史料の少なさから天皇の在位・非在位をめぐって長らく議論がされていた。大正十五年(1926年)十月二十一日に正式に九十八代天皇として皇統に加えられ、陵墓も指定された。
 陵墓は京都市右京区嵯峨天竜寺角倉町の嵯峨東陵(さがのひがしのみささぎ)とされるが、「長慶天皇墓」と称する陵墓は全国に二十箇所ほどあり、謎も多く残っている。


金泉寺/境内(あゆみ・お寺マスター)

「人に教わりながらだと違った見方ができて面白いね!」
 あゆみはお寺マスターとすっかり意気投合したようで、上機嫌で境内を歩き回っている。
 だけど俺たちの目的はお寺探訪ではないので、あゆみの袖を捕まえて引き寄せると、男に聞こえないように耳打ちする。
「楽しんでるとこ悪いけど、八八さんを探さんでもええの?」
「あ」
 あって、あなた。どうやら本気で目的を忘れていたようだ。

「えっと、いろいろ教えてくれてありがとうございました。まだ先は長いけど頑張ります!」
「おう、気をつけてな。――あ、ちょっと待った」
 お礼と別れを告げてその場を離れようとしたところを、男は呼び止めた。
「十一番の藤井寺(ふじいでら)と十二番の焼山寺(しょうさんじ)の間は『遍路ころがし』っていわれる難所だからな、十分注意しろよ」
 二つのお寺の間は、約十三キロメートル、時間にして七時間程度かかるらしい。そしてその道のりは、休憩所が三つ、給水所は一つだけという過酷なものだという。時間に余裕をもって、準備を万全にしてから出発すること、そして雨が降ったときは日程を変えるほうが無難だと教えてくれた。
 そして男は、ぽいっと何かを放り投げた。
「接待だ。持っていきな」
 それは六角柱のお菓子の箱だった。国民的人気動物の絵が描かれたビスケットに、チョコレートが注入されているロングセラーなお菓子だ。ちなみに絵柄は465パターンあるらしい。
「チョコとビスケットが一体になっているのがいい。そいつは遍路の常備食にはもってこいだ」
 熱弁する男の姿が可笑しくて、俺とあゆみは顔を見合わせて笑った。

「さあ、急いで八八さんを探さなきゃね!」
 男と別れて、あゆみは気合を入れるように言った。
「それなら目星はついてるよ」
 俺はある場所を指差して言った。
「いるとしたら、多分あそこだ」


金泉寺/黄金の井戸

 黄金の井戸。寺号の由来となった井戸は、現在でも水が湧き出ており、この井戸を覗いて、影がはっきりと映れば長寿、ぼやけていると短命という伝承がある。また、井戸の傍らに座っている地蔵尊は、北向き地蔵と呼ばれ、首から上の病気に霊験があるとされている。自分の悪い場所と同じところを撫でながら願をかけるとよいそうだ。

「もしかして、あの井戸?」
「多分ね。他の場所はマスターに連れられて散々見てまわったけど、それらしい姿はなかったし」
 この黄金の井戸がある場所は位置を示されただけで、実際に近付いて見たわけではなかった。それで消去法的にここを八八さんの居場所だと思ったのだが。
「で、いつまでそこに隠れとくん?」
 井戸から五メートルほど離れた木の下、あゆみは身を隠すようにじっと立っている。時折り、こちらの様子を窺(うかが)うように顔を覗かせるが、その場所から出てこようとはしなかった。
「……だって」
 しばらく黙って様子を見ていると、あゆみは観念したように口を開いた。
「ぼやけてたら短命なんやろ?」
 一瞬、何のことか分からなかったが、すぐに合点がいった。
 井戸に影が映って、もしそれがぼやけていたら怖いと、そういうことなのだろう。変なところで小心なヤツだ。
「わかった。俺が見てくるけん、お札を用意して待っててや」
 苦笑しながら井戸へと近づく。
 念のため辺りを見回して八八さんがいないかを確認してから、俺は井戸の前に立った。
 確かに、井戸を覗き込むという行為は気持ちのいいものではない。薄暗い井戸の中から手なんか出てきたら絶対怖いだろうな。
 と、そんな考えが頭を過(よぎ)った丁度その時、スゥーっと青白い手が――
「ぎゃあああああああ」
 本日、二度目の悲鳴。
「何? 影が映らんかったとか?」
 あゆみが驚いて木の影から飛び出した。
「いや、そうじゃなくて……」
 俺は乱れた呼吸を整えながら言う。
「とりあえず、八八さん見つけたからお札貸して」
「え?」


金泉寺/黄金の井戸(龍泉)

「貴殿を驚かせてしまったこと、誠にかたじけない」
 青白い手の持ち主は身なりを正すと、その場に正座をして深々と頭を下げた。
「いえ、大丈夫です。大丈夫だからっ」
 俺は慌てて顔を上げるよう要請する。だってそれ、土下座だから。
 井戸から出てきた――実際は、俺とあゆみが引っ張り上げた――それは、金色に輝く長い髪と透き通るような肌をした、いかにも「黄金の井戸の化身」といういでたちで、境内で見た倶利伽羅竜王――不動明王の化身とされ、煩悩を除き身体と心の一切の悩みと願いを成就してくれるといわれる――を想わせる、鋭い眼差しが印象的な女性の姿だった。
「ええっと、八八さん……でいいのかな?」
 俺はおずおずと声をかける。
「如何にも。この地の守護を務めておる、名を『龍泉(たつみ)』と申す」
「あ、はい。龍泉さん、ですね。よろしくお願いします」
 見た目に反して、と言っていいのかは疑問だが、そのかしこまった口調と姿勢に覚えずたじろいてしまう。
 そんな俺の心境はつゆ知らず、龍泉は言葉を続ける。
「貴殿のお蔭で助かった、礼を言う。あのまま出られなかったらと思うと、考えただけでもおぞましい」
 そう言いながら、龍泉は遠くのほうを眺める。
「なぜ井戸の中に?」
「其(そ)れについては聞くも涙、語るも涙よ。そう、あれは半年ほど前であった――」
 重々しい口調で語り始める龍泉。どんなに深い理由があったのだろう。
「興味本位で井戸の中に入ったものの、身動きが取れなくなってな、半年の間そのままよ」
「はぁ」
 お腹は空くわ体は痛いわで難儀したと、龍泉は真面目な顔でそう言った。
 八八さんというモノは、誰彼こんなに色彩濃いのだろうか。頭痛がしてきた。

「ときに」
 龍泉は俺の背後に視線をやりながら言った。
「貴殿の連れは、なぜ入ってこようとせんのだ?」
「ああ……」
 あゆみは一度井戸へ近づいたものの、龍泉を引き上げ終わると社の出入り口まで戻っていったのだ。そして顔だけ出してこちらの様子を覗っている。
「ほう、井戸に己の影が映り込むのが怖いと言うのか」
 俺が事情を説明すると、龍泉は興味深そうに目を細めてあゆみを見据えた。
「――成程。近しき者の死に触れたが故、――――か」
 ぽつりと龍泉が呟く。その言葉は独り言のようで、俺には全てを聞き取ることができなかった。
「ならば何故この井戸を訪れた?」
「八八さんを探してて。ここにいそうな気がしたから」
「ほほう。見えるだけでも十分奇妙な少年だと思っていたが、目的を持って探していたとな。して、何故(なにゆえ)に?」
 興味津々に龍泉は身を乗り出す。俺は結界のことや古文書のことを説明した。そして、結界修復のためにお札を書いてほしいと頼むと、龍泉は快く引き受けてくれた。
 お札に筆を走らせながら龍泉が聞く。
「結界に異常が現れたのはいつ頃か?」
 多分、半年前だったはずだと俺は答えた。あの日、みかん畑であゆみがそう言っていたような。
「ふむ。彼の方が姿を消した時期と重なるな」
「あの方?」
「いや、此方の話だ。――札はこれで良いのか?」
 表に姿を写し、裏に名を入れたお札を手渡しながら龍泉が言った。
「ああ、それで大丈夫」
 お礼を言って受け取ると、出入り口のあゆみの元へ戻った。
 俺はあゆみにお札を渡し、あゆみはそれを古文書へとかざした。そして、古文書の地図に三本目の光の筋が宿った。
「龍泉さん、ありがとう」
 無事に『縁』が結べたことを確認すると、あゆみは龍泉へお礼を言った。相変わらず出入り口から顔だけ出して。
「礼には及ばん。井戸から助け出してくれた恩を返したまでだ」
 龍泉は井戸に腰を掛けた状態で、そう答えた。口調は堅苦しいが、少し照れたように頬を染めた姿は不釣り合いで可愛らしかった。

「あゆみとやら、余計な世話かも知れぬが」
 立ち去ろうとした俺たちの背後から、龍泉の引き止める声が聞こえてきた。
 若干迷いを含んだその呼び声に振り返ると、胸に金色の鏡を抱いて立つ龍泉の姿があった。
「これは井戸の水面と通じる鏡」
 鏡にあゆみの姿が映る。
「貴女の姿は明瞭に映っている、だから死への過度な畏怖は必要ない」
 そう、龍泉は言った。
 あゆみはきょとんとした表情を浮かべていたが、すぐに理解したようだった。そして笑顔で応える。
「うん! ありがとう!」

金泉寺/あゆみ


 井戸を離れると、たいさんのいる納経所へと向かった。
 その途中、俺は龍泉の言葉を思い返していた。
――死への過度な畏怖は
――近しき者の死に触れたが故
 あゆみの巡礼には何か別の――結界を戻すという目的以外の――意味があるのではないだろうか。
 そう思ったが、今はまだ何も聞くことができそうになかった。
「どぉりゃあああぁぁあぁ」
 突如、轟く叫び声。
「な、なんだ?」
 人が真剣に思い悩んでいるところを、ぶち壊すがごとく響き渡ったその声は、ちょうど真上から聞こえてくる。
 俺は、とっさに頭上を見上げた――。

金泉寺/天に響く叫び声

つづく


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