第五話<地蔵寺>

文章・絵:SHIZUMU(OpenDesign) 制作:OpenDesign


八八さん姉妹(淡桜・二葉・龍泉・黒鐘)

「え? 私たちが何者かですって? 取り敢えず言っておくけど、私たちは精霊でもカミサマでも妖怪でもないし、一緒にされるとお互い迷惑だからやめてくれない」
 八八さんは何者なのか。
 ふと気になったので、八八さんについて考えてみる。
 四国に伝わる昔話の一つ『四国結界伝説』に登場する結界の守り人・八八さん。その姿は普通のヒトには視ることができない。
 俺はお寺に棲(す)む精霊のようなモノだと思っていたが、どうやら違うらしい。
 では、土地神や付喪神(つくもがみ)――古い器物に神や霊魂などが宿ったものの総称で「九十九神」と表記することもある――の類だろうか。しかし、それも違った。
 先刻の台詞は、八八さんを代表して長女・淡桜(あわざくら)が言った質問に対する回答だ。淡桜はそう答えながら、もの凄く不愉快そうな眼差しで俺を睨(にら)んだ。
 どうやら怒らせてしまったらしい。聞いてはいけないことだったのだろうか。
 八八さんは何者なのか。ますます謎は深まるばかり。
 八八さんを生み出したのは四国に結界を施したお大師さん。そして、八八さんが結界の守り人として存在し続けるには、霊場と呼ばれる場所と、そこに縁のある「何か」、そして人々の信仰が必要だという。
 ちなみに、霊地に縁のある「何か」とは八八さんの拠り所となるものらしいのだが、必ずしも古くから残る器物である必要はないという。拠り所は八八さんの好みで自由に決めてもいいとか。適当だな、おい。
 要するに、八八さんとは「八十八箇所のお寺には結界の守り人が棲んでいる」という思想・観念が具現化した存在なのだそうだ。意識体と思念体?うむ、さっぱり分からん。
「それだと八八さんってすごく曖昧な存在なんやね」
 俺と違って話の内容を理解できたらしいあゆみの言葉に、姉妹の面々が答える。
「ええ、そうね。でもまぁ、誰か一人でも私たちの存在を信じてくれたらいいわけだから、別に何の問題もないわ」
「最悪、自分で自分を肯定すればいいだけですし。くすくす」
「吾(われ)らが存続することに関しては何ら問題はない。だが、結界を守護し続けるには、其(そ)れだけでは足りぬ」
「龍泉(たつみ)姉さんの言う通りよ。私たちの存在を信じるヒトが少なくなったせいで、私たちは力が不足してるの」
 信じる人が少なくなったというよりは、存在そのものを知らない人が増えたといったほうが正しいかもしれない。そういえば、俺が幼い頃に祖父から聞いた『四国結界伝説』の話も、今ではあまり耳にしなくなった。
 それにしても、八八さん姉妹四人が並ぶと圧倒されるなあ。これからもお寺を巡るごとに一人ずつ増えていくんだよな。一体どうなることやら。
「だから力の不足分をアイツから貰ってるんじゃない。……あ、すっかり忘れてた。あのハゲ、結局どこをほっつき歩いてるのよ」
 淡桜が思い出したように呟く。そこで漸く、俺は「ハゲ」が誰のことか気付いた。駄目だろう、あの人をハゲ呼ばわりしちゃ……。
「どこに居てもいいけど、見つけたらただじゃ済まさないわ」
 含みのある笑みを浮かべて殺気立つ長女と、無言で頷く妹たち。
 その様子を見ながら苦笑する俺の背後で、なぜかたいさんが小刻みに震えていた。

地蔵寺/仁王門&本堂・大師堂・境内

 無尽山(むじんざん)荘厳院(しょうごんいん)地蔵寺(じぞうじ)。
 寺伝によれば弘仁十二年(821年)、嵯峨天皇(在位809~823年)の勅願により弘法大師・空海が一寸八分(約五.五センチメートル)の勝軍地蔵菩薩を刻み、本尊として開創したと伝えられる。
 その後、淳和天皇(在位823~833年)、仁明天皇(在位833~850年)の三代にわたり天皇家に篤く帰依された。さらに紀州・熊野権現の導師であった函上人が、権現の霊木に二尺七寸(約八十センチメートル)の延命地蔵尊を刻み、その胎内に空海が刻んだ勝軍地蔵菩薩を納めたといわれている。
 勝軍地蔵菩薩を本尊とするお寺は、四国八十八箇所のなかでここだけである。勝軍地蔵菩薩は甲冑を身にまとい、武器を持った姿で表されており、これに念ずれば戦いに勝利し、宿業・飢饉などを免れるといわれている。
 このため、源頼朝・義経をはじめ蜂須賀家などの武将が多く寄進し、当時は伽藍の規模も壮大で二十六の塔頭と、阿波・讃岐・伊予の三国で三百あまりの末寺を持ったという。
 しかし、天正十年(1582年)に長宗我部元親の兵火によりすべて焼失。江戸時代、徳島藩主蜂須賀氏により再建された。

地蔵寺/たらちね大銀杏

 八八さんについてあれこれ考えている間に、第五番札所・地蔵寺に到着した。
 仁王門の看板の文字が鮮やかな青色であることに新鮮味を感じつつ、境内へと足を運んだ。
 境内の中央には銀杏の大木がそびえ立つ。
 門の外から見ても十分な存在感を放っていたが、間近で見る迫力は凄まじい。
 地蔵寺のシンボルともいえるこの大銀杏は、お大師さんのお手植えで「たらちね大銀杏」と呼ばれ、樹齢約八百年だといわれている。平成十七年から四集にわたって発行された「ふるさと切手・四国八十八ヶ所の文化遺産」の図柄にも取り上げられた。切手九十枚の中で大木を扱ったものは「極楽寺の長命杉」と「地蔵寺の大銀杏」の二枚だけだ。
 大銀杏は大きく枝を広げて、真夏の陽射しを遮ってくれる。木の周りには荷物を下ろして休んでいるお遍路さんの姿があった。
 俺たちも日陰に入り、一息入れることにする。
「ああ、なんて素晴らしいのかしら……!」
 ペットボトルのお茶を飲んでいると、後ろから二葉の声が聞こえた。
「うをっ! 何してるんですか」
 振り返ると、二葉は銀杏の木に頬擦りしながら恍惚の笑みを浮かべている。ハァハァと息を荒げる様は正直キ……いや、少し怖い。
「あの子は極度の『巨木オタク』だから、気にしなくていいわ」
「はあ……そうですか」
 冷めた目で妹を見やる淡桜。「オタク」という言葉は八八さんの中でも浸透しているようだ。
「それじゃ。眠くなったし、帰る」
 淡桜は軽く伸びをしながらそう言うと、着物の裾を翻して姿を消した。
 出てくるときも突然だったが、消え去るときも唐突だ。
「吾らも退散するとしよう。また折を見て出てくると思うが、その時はよろしく頼む」
 淡桜に続いて龍泉と黒鐘も消える。
 二葉は……相変わらず銀杏にハァハァしていた。

地蔵寺/水琴窟

「これ、何やろ」
 地蔵寺の八八さんを探して境内を歩いていると、あゆみが何かを見つけて足を止めた。
 一冊のノートが落ちている。拾い上げて見てみると、表紙に子どもの字で『五百らかんの謎』と書かれていた。
「なんだ? 『五百らかんの謎』……?」
「五百羅漢は地蔵寺の奥之院のことやね。ほら、ここに来る前に綺麗なお寺があったやん」
 しかし、「謎」か。どうして「謎」という文字はこうも人の興味を引き付けるのか。
「駄目だよ、勝手に読んじゃ」
 ノートを開こうとする俺を、あゆみが咎(とが)める。落ちてるものだから別に構わないと思うのに。あゆみは細かいことに真面目だった。
「ノート落としたのって、あの子たちかな」
 あゆみが示す方向には、小学生高学年くらいの女の子二人組。彼女たちは境内の奥を覗きながら、何やら楽しそうにおしゃべりをしている。
「あっちゃん、聞こえる?」
「ううん、聞こえない。きょーちゃんは?」
「私も聞こえないー」
 一体何の話をしているのだろう。
 あゆみは会話が途切れたところを見計らって、女の子たちに声をかけた。
「こんにちは。このノート落ちてたけど、違うかな?」
「あ、私の!」
 きょーちゃんと呼ばれていた子が手を挙げる。ノートの持ち主はあっさり見つかった。
「おねえちゃん、ありがとうございました」
 丁寧にお礼を述べる女の子たち。どういたしまして、とあゆみは笑顔で返した。
「ところで、何をしてたの?」
「ここで耳を澄ませるとね、琴の音が聞こえるんだって」
「だけど、全然聞こえないの」
 彼女たちは近くの小学校に通うお友達同士で、夏休みの宿題でお寺の調査に来たのだという。ちなみに小学五年生、名前は「あっちゃん」と「きょーちゃん」だそうだ。
「へえ、琴の音が聞こえるんだ。水琴窟(すいきんくつ)って言うんだね。おねえちゃんも聞いてみていいかな」
 水琴窟とは日本庭園の装飾の一つで、手水鉢の近くの地中に作りだした空洞の中に水滴を落下させ、その際に発せられる音を反響させる仕掛けだ。
「むむ、何も聞こえんね」
「でしょでしょ」
 澄んだ琴の音を期待していたのだが、何も聞こえなかったようだ。
 それはそうと、あっという間に女の子たちと馴染んでしまうあゆみ。人見知りをしてしまう俺には、とても真似できない芸当だ。
「おにいちゃんもお遍路さん? おねえちゃんと一緒にまわってるの?」
 ペットボトルのお茶を飲みながら遠目に見ていた俺に、女の子の一人が気づいて話しかけてきた。あっちゃんの方だ。
「おにいちゃんとおねえちゃんって、恋人同士なの?」
 お茶を噴き出しそうになった。

地蔵寺奥ノ院五百羅漢堂(外観)

 あっちゃんときょーちゃんに連れられて、五百羅漢を見に行くことになった。
 五百羅漢堂は本堂から少し離れている。あゆみは歩きながら、さっきのノートについて聞いていた。
「ねえねえ、さっきのノートに『五百らかんの謎』ってあったけど、どんな謎なん? ノートの中身、見せてほしいな」
「うん、いいよ」
 あっさり手渡されたノート。俺も便乗して中を覗き込んだ。
「すごい、よく調べられてるね」
 その内容の濃さに感心する。五百羅漢とは何かから始まって、その歴史的背景や建築構造にまで事細かに調べられていた。

 地蔵寺の奥之院・五百羅漢堂。
 地元の人は第五番札所・地蔵寺を「羅漢さん」と呼ぶほど、この羅漢堂は親しまれている。ちなみに地蔵寺のある住所も「羅漢」だ。地名に「羅漢」という名が付くのは珍しい。
 地蔵寺の羅漢堂は、江戸の本所にあった羅漢寺――当初は本所五ツ目(現在の東京都江東区大島)にあり、徳川綱吉・吉宗が支援していたが、度々洪水に見舞われて衰退。明治時代に目黒の現在地に移転した――を模して造られた巡礼堂だ。
 巡礼堂とは、人が堂内で移動しながら仏像を拝むことのできる仕組みをもつ建物で、大別して二つの系統がある。
 一つは百観音が納められている「さざえ堂」という形式の建物だ。関東から東北にかけて分布するこの建物は三階建てで、内部が通路と多くの階段で仕切られている。順路にそって仏像を拝観していくと、一度も同じ場所を通らずに建物内すべてを巡れるという不思議な構造だ。
 もう一つが羅漢像を納めている「羅漢堂」である。関東以北に限られる「さざえ堂」とは対照的に、「羅漢堂」は関東より西にのみ分布している。これには何か理由があるのか、それとも偶然なのかは定かではない。
 地蔵寺の五百羅漢堂は、本尊の釈迦如来像が祀られた釈迦堂を中心に、左手に弥勒堂、右手に大師堂と、三つの建物をコの字型につないだ建築群である。この江戸本所の形式をとる建物は、名古屋の大龍寺と並んで日本でも数少ない。

「入り口は左側だよ」
「わかった、ありがとう」
 きょーちゃんが、正面から向かって左手にある弥勒堂前の小さな建物を指差して教えてくれた。
 俺とあゆみは二人と別れ、拝観料二百円を払って中へと入った。ペット同伴はまずいだろうと思って、たいさんはそこら辺に転がしておくことにする。

地蔵寺奥ノ院五百羅漢堂(内観)&釈迦堂・弥勒堂・大師堂

 色鮮やかな等身大の羅漢像がずらりと並ぶ。
 五百羅漢は四国では唯一で、等身大サイズの木造羅漢像は全国でみても珍しい。
 羅漢とはお釈迦さまの直接の弟子たちのことで、如来や菩薩といったいわゆる仏さまではなく、悟りを開いたとはいえ人間なのである。そのため、羅漢像はどれも笑ったり怒ったりと表情が豊かで親しみやすい造形だ。その中には、必ず自分の姿や親しい人に似た顔がいるといわれている。
「親しい人に似た顔っていわれても……こんな眉毛の人はおらんやろ」
「たしかに。みんな逞しい眉毛しとるよね」
 羅漢像を見た俺の率直な感想に、あゆみは吹き出した。
「ところで、さっきのノートに書かれていた二つの謎」
 中央に位置する釈迦堂に入ってところで、あゆみが口を開いた。
「羅漢さんが勝手に動き出すって本当なんかな。動いたら楽しいやろねー」
「楽しい……か?」
 真夜中の暗い通路を、木造の像がひとりでに歩く姿を想像してしまった。
 ついでにもう一つの謎は、誰もいないはずの羅漢堂から琴の音と少女の歌声が聞こえてくるというもの。歌声を聴いたという人は結構いるらしいのだが、その噂は半年前からぱたりとやんだそうだ。
 半年前というキーワードが引っ掛かるが、こういうオカルト系の話はどうも苦手だ。
「恵、何か言った?」
「ん? 別に何も言ってないけど……」
「そうなん? なんか男の人の声が聞こえた気がしたけん」
「気のせいじゃね? 取り敢えず先に進もうや」
 おいおい、やめてくれよ。内心ドキドキしながらも平常心を装う俺。
 早くここを出ようと、一歩踏み出そうとしたしたときだった。
『もしもし』
 確かに、男の声が聞こえた。

羅漢さん

「うわあああああああああああああああ」
 見なければいいものを、つい見てしまうのが人間の性なわけで。俺もよせばいいのに、声のする方を向いてしまった。
『はっはっはっ。人の顔を見て驚くとは、失敬なヤツよ』
 俺の顔のすぐ真横に、羅漢の顔がある。
 笑っているみたいだが、木造の像なので表情は固定されたまま。声に合わせるようにカタカタと小刻みに鳴る様が異常に怖い。
『すまんすまん、そんなに驚くとは思ってなかった。いやなに、ワシの同胞がちょいと問題を起こしてな。困っていたところにお前さんらがやって来たというわけよ。んで、お前さんらからは何やら不思議な気配を感じるときたもんだ。つい声をかけてしまったのだよ。はっはっはっ』
 聞いてもいないことを勝手に話し始める羅漢のおっさん。
『なに、簡単なことだ。探している物があるんだが、よかったら見つけるのを手伝ってほしいのさ』
 そういう流れになると予想はしていたけど、やっぱりか。
「探し物? 何を探したらいいの?」
『この列の一番上、青い袈裟を着た彼奴が眉毛を失くしてな』
「つけ眉毛だったのか!」
 羅漢さんの言葉に思わず笑ってしまった。
『眉毛を笑うな。眉毛は紳士のたしなみ、漢(おとこ)のロマンだ』
「すみませんでした」
 意味は解らんが熱意は伝わった。俺は素直に頭を下げる。
「青い袈裟の羅漢さん……あれ? あの人の眉の形、どっかで見たような。ちょっと待っててね」
 あゆみはそう言うと、来た道を戻っていった。

「あった、あったよ~~~」
 暫くして、黒い物体を握りしめたあゆみが走り寄ってきた。
「これやろ? 通路で見かけたんやけど、毛虫かと思って避けてたんよ」
『おお、確かに。おおーい、同胞よ。お前の眉毛が見つかったぞ』
『かたじけねぇ。これでオラも、堂々と人様の前に立つことができるべ』
 羅漢堂があゆみへのお礼と、眉毛を取り戻した同胞を祝う言葉で沸く。
 盛り上がっているところ悪いが、毛虫に間違えられる眉毛って……。本当に必要なのか、そのつけ眉毛。
 歓声が静まったころ、年寄り風の羅漢さんが言った。
『ワシらの問題をあっという間に解決してくれた二人じゃ。あの件も頼ってみてはどうじゃろう』
『そうだ、そうしよう』
 羅漢さん一同、賛成。
『おーい、あれを出してくれ』
『あいよー』
『あいよー』
 伝言ゲームのように奥へと伝わる指示。
 寸刻の後、奥の方から何やら黒い箱が運ばれてきた。羅漢さんから羅漢さんへ手渡される大きな箱。それは俺たちの目の前で止まった。
 蓋を開けて中を覗きこむ。
「何だろう? 恵、わかる?」
「楽器みたいだけど、ギターなのか琴なのか」
『これは「琴ギター」といってだな、至極崇高な仏具さ』
「はあ、見たまんまの物なのですね」
 断っておくと、ギターを琴の様に寝かせて弾く演奏方法のことではない。ギターベルトのついた小型の琴といった感じだ。というか、仏具……?
『この琴ギターは我らがアイドル、KU☆A☆RAちゃんの大切なアイテム。それが半年ほど前に、突如音が鳴らなくなってしまったのだ』
『そのせいか、KU☆A☆RAちゃんはオラたちの前で歌うことをやめてしまった』
『いつも明るく元気な娘じゃった。またあの娘の歌が聴きたいんじゃ』
『KU☆A☆RAちゃんのためにも、ワシら同胞のためにも、是非とも力を貸してくれ』
「わかった。わかったから、一斉にしゃべるのはやめてください」
 KU☆A☆RAちゃんって誰やねん、という突っ込みもさせてもらえないまま、俺たちは羅漢さん一同の頼みを聞くこととなった。

「楽器に詳しいわけやないけん、自信はないけど。琴ギター自体は問題ないと思う」
 一通り思いつくところは全て確認したが、どこも壊れた形跡はなく、これといった異常は見つからなかった。
「物理的な要因やなくて、あたしは別のところに原因がありそうな気がするんやけど。仏具っていうくらいやし……」
 鳴らなくなった琴ギター。
 音が鳴らない。
 音が聞こえない。
 聞こえなくなった琴の音……。
「あ」
 俺とあゆみは顔を見合わせた。

 俺たちは納経所の横にある水琴窟のところへやってきた。
「恵、勝手にそんなことして大丈夫なん」
「大丈夫やろ。掃除しよるだけやし」
 手水鉢を磨いて苔を落とし、まわりに生えている雑草も少し抜いた。
「こんなもんかな。後は水を流せば終わりか」
 境内に置いてあった桶と柄杓を借りて、手水場から水を運び、水琴窟の手水鉢へと水を注ぐ。
「そんなことで、本当に鳴るの?」
「さあ」
「さあって……」
 俺の曖昧な返事に、あゆみは不満そうにぶつぶつ言っている。
 取り敢えず自分ができそうなことを試してみたのだが、実際これで音が鳴るかは自分にも分らない。
 何も変化がないまま数分が過ぎた。
 やはり、駄目だったのだろうか。
「恵」
 諦めかけたとき、不意にあゆみが俺の白衣の袖を引いた。
――ピーン
 とても小さな音だったが、琴のような美しい音が、確かに響いた。
「鳴った、鳴ったよね! すごいよ、魔法みたい」
 お札効果と称して不思議能力を使うあゆみの口から、魔法という言葉が出てくるのは意外だった。
 俺は苦笑しながらトリックの種明かしをする。
 水琴窟は地下に造った空洞に水滴を落とし、その水滴が空洞の底に溜まった水に落ちた際に発する音を反響させて、琴のような音を鳴らす。
 では、空洞の底の水が涸れていたらどうだろう。
 手水鉢の苔を落としたり雑草を抜いたりしたのは、地下に水を滞りなく流すため。最後に一気に水を注いだのは、底に水が溜まる時間を短縮するためだ。
 俺がしたことは魔法でも何でもない。
 もし駄目だったら構造上に欠陥があるわけで、そのときは諦めてお寺の人に頼むつもりだったし。

 羅漢堂に戻ると、盛大な歓声で迎えてくれた。
『ほら、聞いてくれよ。琴ギターに音が戻った!』
『お前さんたち、最高だよ!』
『ありがとう!』
『ありがとう!!』
 だから一斉にしゃべるなと……。でもまあ、人に感謝されるのは悪い気分ではない。人じゃないけど。
『さあ、同胞よ! 我らがアイドル、KU☆A☆RAちゃんを呼ぼうではないか!』
『うおおおお!!!』
「はいぃ?」
「え、何なん。何が起こるん?」
 かつてないほどの、異様な盛り上がりを見せる羅漢堂。そして始まるKU☆A☆RAコール。
「何? 何なん、一体」
 あゆみは驚きを通り越して、恐怖で顔を引き攣らせている。
『KU☆A☆RA!』
『KU☆A☆RA!』
『KU☆A☆RA!!』
 羅漢堂の熱気が最高潮に達したとき、そいつは姿を現した。

蔵杏羅

「みんなー! 久しぶり、元気だったー?」
『うおおおおおおおおお!!!』
 現れたのは、煌びやかな衣装に身を包んだ金髪碧眼の少女。羅漢さんのアイドル、KU☆A☆RAちゃんの登場だ。
 一層大きな歓声が沸き起こる。
 ここは一体どこなんだ。俺とあゆみは、ただ黙って見ているしかなかった。
「琴ギターが壊れたから、半年かけて新しいの作ったよ! ほら、琴ギター弐号!!」
『うおおおおおおおおお!!!』
 琴のようなギターのような不思議楽器を頭上に掲げたところで、少女は動きを止めた。
「あれ? 琴ギター壱号、復活してる?」
 そして少女の視線は琴ギター壱号を持つ俺に移る。
「な、なんで、ヒトがこんなところに居るのー!?」
 居るのー居るのー居るのー……羅漢堂にこだまする少女の声。

地蔵寺奥ノ院五百羅漢堂(大師堂)

「なんかわからんけど、すごかったね……」
 五百羅漢堂の出口側、大師堂の壁にもたれながら、あゆみが疲れ切った声を出す。
 結局あの後、KU☆A☆RAちゃんは俺たちの存在を気にしつつも、ミニライブを敢行した。そしてそれは大盛況のうちに幕を降ろした。
 羅漢さんたちの熱狂が嘘だったように、羅漢堂はいつもの静けさを取り戻している。
 あゆみが休んでいる間、俺は大師堂の中を見て歩いた。
 大師堂の中央には大師像が祀られている。その左右後三方の壁沿いに西国三十三箇所と四国八十八箇所の写し本尊が並んでいる。
 それらを眺めていると、KU☆A☆RAちゃんが近付いてきた。
「あなたがわたしの琴ギターを直してくれたんだってね。ありがとう」
 そして少女は名前を名乗った。一応、地蔵寺の八八さんらしい。
「わたしは蔵杏羅。地蔵寺の『蔵』と銀杏の『杏』と羅漢の『羅』で『くあら』って読むの」
 あの場にヒトが居るなんて思ってなかったから吃驚したよと、蔵杏羅が笑う。
「それはこっちの台詞。いきなり羅漢さんが話しかけてくるし、いつの間にかあんな状況にまでなるし……」
 本当に何がなんだか。思い出すと、どっと疲れが。俺は話題を変えるように蔵杏羅に話しかけた。
 彼女の服の裾を指差しながら。
「あのさ、さっきから気になってるんだけど。そこ、燃えてない?」
 気のせいではなく、裾からは煙が立ち上っている。
「あ、これ? 大丈夫大丈夫。実際に火がついてるけど、これ以上燃え広がったりしないから」
 服の装飾なのだろうか。八八さんのセンスはよくわからない。
「わたしのこの服はね、とても仲の良かった羅漢さんが着てたものなの」
 蔵杏羅は聞いてもないのに話し始めた。ここに棲む方々はおしゃべりが好きらしい。
 俺は疲れていたし俯いたまま話半分に聞き流していたのだが、蔵杏羅の言葉に思わず顔を上げた。
「え?」
「うん、だからね。ここ羅漢堂は、この大師堂を残して全部焼けてしまったの」

 地蔵寺の羅漢堂は、安永四年(1775年)に実聞・実名という兄弟の僧によって創建された。高さ四丈(約十二メートル)の釈尊を中心に、回廊に等身大の五百羅漢が安置されていた。しかし、大正四年(1915年)の火災で焼失。現在の羅漢堂は、大正十一年(1922年)に再建したものだという。

「あの火事で、お堂のほとんどが焼け落ちて、羅漢のみんなも居なくなっちゃった」
 手元に残ったのは、仲の良かった羅漢さんの身につけていた着物だけだった。
「大事なものが消えていくのに、わたしは何もできなかった」
 唯一残った着物を抱いて、他のたくさんのものが消えていくのを、ただ見ていることしかできなかった。そのとき飛んだ火の粉が、抱きしめた着物の裾を少し焼いた。
「だからせめて、いつまでも覚えていられるように。燃えたままの着物を身につけているのは、あのときの炎を忘れないため」
 俺は何も言えなかった。その火事は、巡礼者の火の不始末が原因だったらしい。
「あ、ごめん。わたしったら何を話してるんだろうね。別に、火事を起こしたヒトが憎いとか、そんなことを言いたかったんじゃないよ」
 蔵杏羅は俺が黙ったまま動かないことを気にした様子で、あたふたと落ち着きがない。
「あのねっ。あなたが、何となく仲の良かった羅漢さんに似てたから、つい」
「……俺は、あんなに逞しい眉毛はしてないよ」
 小さく笑って答える俺に、蔵杏羅も微かに綻んだ。
「失ったものは二度と戻ってこない。だけど、それをただ悲しんでいるだけじゃダメなんだって思ったの」
 失ったものをただ失ったものとして受け入れることも悪くはない。
 ただ漠然と過去のものとして消費してしまうことも仕方がない。
 だけど、失ったものに意味を与えて、そこから新たな何かを生み出せるのなら、それはとても素敵なことかもしれない。
 羅漢堂が消失したあと、多くの人が再建に立ち上がったように。

  色不異空 カタチあるものの本質は、変化と異ならない。
  空不異色 変化によって、カタチあるものが存在するのだ。
  色即是空 すなわち、この世のカタチあるものは、変化するものだ。
  空即是色 変化こそ、この世のカタチあるものの本質なのだ。

「カタチがあるものは、いつか消えてしまう。だけどそれは、カタチを変えてまた生まれてくる」
 蔵杏羅は歌うように言う。
 俺はその言葉を、ただ黙って聞いていた――。

地蔵寺奥ノ院五百羅漢堂から見下ろす風景

つづく


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