第九話<法輪寺>

文章・絵:SHIZUMU(OpenDesign) 制作:OpenDesign


 法輪(ほうりん)――
 (梵)dharma-cakraの訳。仏語。
 dharma(ダルマ)は法、すなわち仏の教え。cakra(ちゃくら)は車輪のような武器を意味する。
 仏教が人間の迷いや悪を打ち破り追い払うことの喩(たと)え。また、車輪のどこまでも行く自由な動きから、仏の教えは衆生のどこにでも転じ、人々を教化することを表している。


熊谷寺/鐘楼堂(熊羽八)

「……」
「……」
「…………」
「…………」
 黒目がちな目がこっちを見ている。
 暫く無言で見つめ合った後。
「うにゃにゃにゃにゃっ!?」
 女の子は奇声を発して飛び上がった。
 天井をブチ破る勢いで、文字通り飛び上がったのだ。大事なことなので、以下略。
 念のために補足しておくと、実際に天井が破られたわけではないので文化財損壊を心配した人は安心してほしい。
 幸いその鐘楼堂の、天井の中央――ちょうど釣り鐘の真下にあたる――には最初から上層へ通じる穴が空いていたのだ。……って、誰に説明してんだ、俺。
 しかしあれだな。風船の一件といい、跳躍力半端ないな、この人。
 ここまでくれば「跳躍」ではなく「飛行」と表現したほうが相応しい。
 鐘楼堂から飛び出した女の子を目で追いながら、俺はそんなことを考えていた。

 現在、女の子は鐘楼堂の上空を飛行中。
「うわわ、熊さんの中の人は天女様やったんやね!」
 いつの間に隣へ来たのか、あゆみが空を見上げながら驚きの声を上げた。
 確かに薄い布を身にまとったその姿は、羽衣を持った天女と言えなくもない。
 だが、そんなことよりも。
「あの人、このまま飛んで逃げる気やけど構わんのかな……?」
 みすみす逃したとなると、きっと淡桜(あわざくら)が黙っていないだろう。
『見つけたら、皮を剥いで中身を縛り上げて連れてきなさい』
 そんなことを言ってなかったけ、あの物騒な人。
「大丈夫ですよ。くすくすくす」
 不意に隣――今度はあゆみとは反対側だ――から笑い声がした。
「うわ、びっくりした。二葉さんか」
 着物のところどころに土がついているが、あえて追及するのはやめておく。
「心配なさらずとも、抜け目ない姉さまのことです。もう手は打っていますよ」
 二葉はそう言うと、またくすくす笑った。そして、彼女の宣言通り。
「あっ! 淡桜さんが熊さんを捕まえたよ!」
 あゆみの声。
 見上げると、女の子の首根っこを掴んだ淡桜の姿が。――って、えええ?
「あいつも空飛んでんじゃーん!」
「別に驚くことはないと思いますよ。私(わたくし)たちは常に浮かんでいるものです」
 もっとも、高く飛ぼうとすると相応の体力を使うとかなんとかで、いつもは最低限の飛行にとどめているのだとか。
「……あ、そういやそうか」
 八八さんとはそういうモノだ。
 なんでも地面の虫や草花を傷つけないように、とのことらしい。成程、まがりなりにも仏に従ずる存在というわけだ。
「まがりなり、は余分ですけどね……くすくすくす……」
「……ゴメンナサイ」
 勝手に心の声を読むのはやめて。まじで。
 二葉と言い合っている間に、淡桜が女の子を連れて地上に降りた。
「姉たちに挨拶もせずに逃走だなんて、いい根性してるじゃない」
 にっこりと笑みを浮かべる淡桜。目が笑ってないぞ、目が。
 女の子は観念したように「うにゃぅ……」と意味不明な言葉を漏らしながらうな垂れた。
「な、なんと! 熊さんの中の人は八八さんやったんやね!」
 一連の様子を見ていたあゆみが、興奮気味に声を上げる。
「ま、そうやないかなって思っとったけどね!」
 なんじゃそりゃ。てか、いつにもなくテンション高いな。
 苦笑しながら、俺はふと『何か』引っ掛かりを感じた。その『何か』が何であるかは分からないけれど。


熊谷寺/鐘楼堂(淡桜・熊羽八)

「クマさんの『熊』に羽毛布団の『羽』、そして数字の『八』って書いて『ゆうや』って読むよ。よろしくネ! あ、呼びにくかったら『熊さん』でもいーよ。にゃはは」
 熊さん着ぐるみの中の人こと熊羽八は、屈託のない笑顔で俺たちに自己紹介をした。
「熊羽八さんに質問!」
 はい!とあゆみが挙手する。
「熊羽八さんの耳と尻尾は本物なん?」
「ううん。ボクのコレは作り物だよ。熊谷寺の看板娘としてキャラ作りは大切だと思うんだよね」
 えっへんと胸を張る熊羽八。看板娘だったのか。
「思うんだよね――じゃないわよ、まったく」
 淡桜が心底呆れたように言い放つ。
「……本当、守り人っていう自覚がなさすぎ……」
 その後ろで黒鐘がぼそりと呟く。黒鐘の横には癒安(ゆあん)と羅紗(らーしゃ)の姿があった。
「姉さん、二人を連れてきたよ」
「やっと来たわね。癒安、羅紗、熊羽八――あんたたち三人はそこに正座しなさい」

「いいこと? 私たちは結界を守護するっていう使命があるの」
 淡桜の説教が続く。
 結界の守り人である八八さんは、ヒトと触れ合ってはならない。なぜならヒトとの交わりが穢れにつながり、それが守護力を弱めるなんたらかんたら。
「淡姉(あわねえ)~」
 淡桜の言葉を遮ったのは熊耳の人だ。
「……何よ、熊羽八」
 話の腰を折られて、あからさまに不機嫌そうな声になる淡桜。
 だが、熊羽八は気にせずに続ける。
「この格好で移動するのはどうかと思うよ」
「ああ、それは私も思うわ。でも、ま、文句があるならあいつに言いなさい」
 ……何やら、ものすごい視線を感じるのだが。
 顔を上げると淡桜たち姉妹と目があった。
「ちょっと待て。なぜ、俺?」
「……」
 淡桜は答えない。
「……」
「……」
「……」
 癒安たち三人も同じく無言だった。
 オッケーオッケー。まずは状況を確認しようか。
 俺たちは今、熊谷寺を出発して次の札所である法輪寺に向かって歩いている途中だ。
 先頭を歩いているのは、あゆみとたいさん。その次が俺。
 俺の後ろを、淡桜が説教をしながら後ろ歩きでついてきている。
 そして最後尾は妹三人組。彼女たちは長女の言いつけ通り正座をしたまま歩いて……ん?正座をしたまま?
「なんでそんな奇妙なことしてんだ?」
 常に宙を浮いている八八さんなので可能なのだろうが、正座の格好で移動する様は不自然極まりない。
「だから、あんたのせいだって言ってるでしょ。あんたが早く次の札所に行きたいって言うから、仕方なし移動時間を使って言い聞かせるんじゃない」
 いやまぁ、熊谷寺の鐘楼堂で説教を始めようとした淡桜に、早く出発しようと言ったのは確かだけど。ただ、そのとき淡桜たち姉妹に対して、話し合いが終わったら追いかけてくればいいと伝えたはず。
「『勝手についてきたのはそっちだろ』みたいな顔してるのがムカつくんだけど。……まぁいいわ。あのね、私たちはあんたの持ってる古文書と縁を繋いでんの。嫌でもそれに引っ張られるんだから仕方がないでしょ」
 ようするに、淡桜たちが姿を現せる範囲は、縁を繋いでいる媒体から一定距離内だということ。そのため、その媒体が移動すると、否応なしに「引っ張られて」しまうというのだ。
 成程、納得した。しかし、それは俺のせいじゃない気がするぞ。
 さらに言うなら、淡桜は一つ見落としていることがある。
「でも、古文書の持ち主は俺じゃないぞ」
 少し前を歩いているあゆみだと言ってやる。
「うっわ。女の子に責任をなすりつけるなんて、あんたって最低ー」
 うっわ、予想外の非難が返ってきたし。……なんか俺、八八さんたちに凹まされっぱなしなのだが、気のせいだろうか。はっ!もしかして俺、嫌われてる!?

 ――じいちゃん。巡礼二日目にして、早くも挫けそうです。


田園風景

 田園風景が続いている。
 その向こうにお寺のお堂らしい屋根が見えてきた。目的地まであと少しだ。
「きゃっ」
 少し前を歩いていたあゆみが、小さな悲鳴を上げて立ち止まった。
「どうした? ――お前、顔色悪いぞ。大丈夫か?」
 駆け寄ると、あゆみが真っ青な顔を上げた。そして震える手で前方を指した。
 お寺の門の数メートル手前。
 行く手を阻むように道の真ん中に陣をとる、ニョロンとした生き物。
「なんだ、ヘビじゃん」
 しかも珍しい白ヘビだった。確か、縁起のいい生き物って言われているよな。
「え、恵って怖くないん……?」
「そりゃ、あんま好きではないけど……別に怖くはないかな」
 あゆみは信じられないものを目の当たりにしたような表情で俺を見る。
「嘘!? ヘビは怖いんよ! 丸呑みにされるんよ!?」
「それはどこの大蛇だ……」
 確かにアナコンダやニシキヘビの中には十メートルを超すヤツもいて、人間を呑み込んだという事例もあるらしいけれど。
 だけど、目の前にいる白ヘビはそれほど大きくないし。せいぜい一メートルくらいだろうか。
 それでもあゆみは固まったまま動こうとしない。
「恵、あのヘビさんに見えんところまで退いてもらうように頼んできて。やないと、ここから一歩も進まんけんね」
「はぁ……」
 よほどヘビが嫌いなんだな。
 とりあえず、お寺を目前にして足止めは困るので白ヘビには退散願おう。
 そのとき白衣の裾が引っ張られた。たいさんだ。
「ここは儂(わし)に任せるがいい」
「いや、たいさんはやめたほうがいいかも……」
 サイズ的に丸呑みされかねない。
「何を言うか。白ヘビは仏の使い。それに、この儂が襲われるわけなかろう」
 人の制止も聞かず、たいさんは行ってしまった。
 仕方がないので黙って様子を見――
「って、ああもう! そうなる気はしてたけどさ!」
 案の定、頭からかぶりつかれるたいさん。
 体は丸ごと白ヘビの口の中。かろうじて尻尾だけがはみ出ている。
 俺は慌てて駆け寄ると、尻尾を掴んで思い切り引っ張った。
「むぐぐ、むぐぐぐっ!」
 尻尾を引っ張る度に、白ヘビの体内からたいさんの叫び声が聞こえてくる。
「痛い!」とか「尻尾が千切れる!」とかそんなところだろう。だが、気にしている場合じゃないのだ。我慢しろ。
 再三にわたる引っ張り合いの末、白ヘビはようやくたいさんを吐き出した。
「……たいさん、大丈夫か?」
 たいさんは「ヘビ怖いヘビ怖い……」と繰り返しながら目を回している。
「――あのう」
 おずおずとした声。
「貴方様のご朋友とはつゆ知らず、大変失礼なことをいたしました。獲物だと思って、つい……」
「あ。いえいえ」
 不用意に近づいたたいさんも悪いですから、と反射的に返事をしてから気がついた。
 今度は白ヘビがしゃべってるじゃーん!
 ……とか一応つっこんでみたが、たいさんという不思議タヌキ――もっとも、俺はタヌキだと認めてないが――と会って以来、ある程度のことには驚けなくなった。慣れって怖いよね。
「ああ、そうそう。白ヘビさんにお願いがあって……」
 たいさんのせいで本題を忘れるところだった。
 連れが怖がっていると正直に話して、少しの間だけ隠れてもらうよう頼んだ。
「それはそれは……どうやら行く手を邪魔していたようですね。すぐに移動いたします」
 白ヘビは快く承諾してくれた。
 言葉遣いといい態度といい、なんとも謙虚な白ヘビだ。
 八八姉妹の一部の人たちに、爪の垢を煎じて飲ませてやりたい気分だ。爪ないけど。


法輪寺/山門

 正覚山(しょうかくざん)菩提院(ぼだいいん)法輪寺(ほうりんじ)。
 弘法大師・空海が巡錫中に白蛇を見、白蛇が仏の使いといわれていることから釈迦涅槃像を刻んで本尊として開基したと伝えられている。当初は現在地より四キロメートル北方の法地ヶ渓にあり白蛇山法林寺と号していた。
 天正十年(1582年)に長宗我部元親の兵火により焼失。正保年間(1644年~1648年)に現在地に移転して再興され、現在の山号、寺号に改められた。その後、安政六年(1859年)に火災――これは村人が浄瑠璃芝居の稽古をしていた際に、堂内から出火したと伝えられている――で全焼、明治になって現在の堂宇が再建されたという経緯をたどる。

 法輪寺の本尊は四国八十八ヶ所唯一の寝姿の釈迦如来像で、開帳は五年に一度。
 釈迦は悟りを開いてから、四十五年あまり諸国を巡って説法し人々の救済に当たっていたが、八十歳にいたるや涅槃に入ることを自覚し、拘尸那掲羅(くしながら)城外の沙羅双樹の間に床を延べ、最後の教えを説いたのち横になって、頭を北に顔を西に向け、右脇を下にして涅槃に入った。その周囲にいた菩薩をはじめ多くの人々は悲嘆にくれたが、これらの様相を彫刻によってあらわしたのが、この涅槃像である。
 この寝姿は別名「賢者の寝相」とも呼ばれ、安静を保つには最良の形であるらしい。


法輪寺/境内(淡桜・癒安・羅紗・熊羽八)

「やっと到着したかも……」
「正座で移動は、流石のボクでも疲れたにゃ……」
「これでやっと解放されるわね」
 境内に入ったところで、羅紗、熊羽八、癒安の三人は立ち上がって伸びをする。
「あら、あんたたち。いつ話が終わったって言ったかしら?」
「……え?」
 一瞬にして凍りつく妹たち。お気の毒に。
「そういうことだから、私たちは人目につかない場所で話してるわ」
 淡桜はそう言うと、三人を引き連れて境内の奥へと姿を消した。
「んーっと……あたしたちは納経して、八八さんを探そっか」
「だな」
 姉妹たちの背中を見送って、俺とあゆみは頷き合った。

「そういえば、ここのお寺は足の健康にご利益があるんやって」
 本堂に向かう途中、あゆみが言った。
 なんでも、松葉杖なしでは歩けなかった人が参拝にきたとき、参道の真ん中で足が軽くなり、松葉杖なしで歩けるようになったという言い伝えがあるのだとか。
 そのため本堂にはたくさんの草鞋(わらじ)が奉納されており、納経所では健脚祈願「足腰お願いわらじ」が売られている。
「ときに、おぬしら。草鞋と草履(ぞうり)の違いは知っておるかね?」
「違い? 両方、同じものじゃないん?」
 おはぎと牡丹餅みたいに。
「足首に巻き付けるものがあるかどうかだよね」
 あゆみの言葉に、たいさんが頷く。
「うむ。足首や足の甲に巻きつける紐があるのが草鞋で、脱ぎ履きに手間取るがしっかり固定できるという利点があるぞ」
 昔は旅や山仕事に使われていたとか。


法輪寺/境内(渡部孝之)

「よう。幸野じゃねえか」
 急に後ろから声をかけられた。
 声をかけてきたのは同年代の茶髪の青年。はて、こんな知り合いいたっけ?
 相手の顔をまじまじと見る。
「あ、あれ……? もしかして、人違い? うわ、恥ずかしっ」
 青年は「失礼しましたー!」と言いながら踵を返す。
「知り合いと違ったん、恵?」
 あゆみが不思議そうに聞いてくる。その声が聞こえたのか、青年が振り返った。
「やっぱ幸野じゃん! 幸野恵だろ?」
「そうだけど。……あんた、誰?」
 今度は相手が俺の顔をまじまじと見つめる番だ。
「え、マジで? 冗談だろ?」
 残念ながら微塵も心当たりがないのだが。
「マジかよ。中学んとき、同じクラスやったろ?」
 しかも三年間、と相手は恨めしそうに言う。
 が、しかし。まったく覚えがないのだから仕方がないじゃないか。いいから名を名乗れ、名を。
「お前が昔から他人に興味ないのは知ってたけどよー。まさかそこまで薄情なヤツだったとは……渡部だよ。渡部孝之」
 人でなしとか冷血漢とか、散々なじった後で青年は名前を明かした。
 わたなべ……たかゆき…………。
「……あ!」
「はぁ。やっと思い出したか。名前を聞いても『やっぱり知らん』って言われたらどうしようかと焦ったぜ」
 思い出した。思い出したけれど。
「お前、変わりすぎ! 中学んとき、お前『ハゲ』だったじゃん!」
「『ハゲ』じゃねえ! 『坊主』と言え!!」
 渡部孝之。中学時代、野球部主将だった彼は典型的な硬派な男で、高校はスポーツ推薦で関西の野球名門校に進学した。――以上が、俺の知っている孝之情報。
 ちなみに言っておくが、クラスメイトってだけで、とりわけ親友だったとかそんなことはない。孝之のこの馴れ馴れしさは、誰に対しても平等ということだ。
「やっぱりお友達やったんやね。あたしは先にお経あげてお寺を探索しよるけん」
 あゆみは小声でそう言うと、軽くお辞儀をして離れていった。
「誰? 彼女?」
「いや。ただの知り合い」
 孝之は「ふーん」と、それ以上の追及はしなかったが、あゆみの後ろ姿をずっと見ていた。そして姿が見えなくなったのを確認して言った。
「あの子の巡礼服、なんか変じゃね?」
 すっかり見慣れてしまったあゆみの服装だが、やはり初見の人には奇妙に映るようだ。
「俺はお前にも同じことを言ってやりたい」
「ん、俺?」
 どこかおかしいか?と、真顔で聞いてくる孝之。それはわざとなのか、それとも天然なのか。
「Tシャツだよ、Tシャツ。何、その目の焦点が合ってないキャラクターは」
「えっ? 『ミックーメウス』知らんの?」
「えっ? それってそんな有名なキャラ!?」
 二人して「えっ? えっ?」を繰り返す。
 ミックーメウス……なんとも某ネズミの国を彷彿とさせるネーミングだ。危険な香りしかしないのだが。
「俺のねーちゃん、南久米に住んどるやろ」
「いや、知らんけど」
 孝之にねーちゃんがいたこと自体、知らんかったし。ところで、「南久米」と言うのは愛媛県松山市にある地名だ。
「南久米で密かなブームって、うちのねーちゃんが言よったぞ」
「へぇ……」
 ねーちゃんに騙されてないか……?
 通称、南久米の『ミックー』、合言葉は「ずこー」らしい。


南久米ミックーメウス

「おおい、兄ちゃんたち。そんな場所に突っ立っとったら、後から参拝に来た人の邪魔になるだろう」
「おおっと。スミマセン!」
 参道のど真ん中で話し込んでいた俺たちは、慌てて脇へと移動した。
 周りを見れば、いつの間にか人であふれかえっている。団体巡礼の人たちだ。そして、さっき声をかけてきたのはその団体の先達だった。
「孝之、納経済ませた?」
「いんや、まだ」
「団体さんの前に終わらせとこや」

 本堂、大師堂でお経をあげる。
 驚いたことに、孝之の読経は様になっていた。
 一方、俺はというと、何度も途中でつまってしまって「どうもこうもこのザマよ」な有様だった。
「お前、お経読むの上手いのな」
 納経所に行って印を貰った後、俺は孝之に話しかけた。
「そりゃあ、百六十回も読めば慣れるやろ」
 聞けば、孝之は逆打ちで巡っているのだとか。
 ここで八十箇所目ということは、残すところあと八寺だ。
「もうすぐ終わりやん!」
「おうよ。今日で四十三日目、明後日には結願かな。歩き遍路って始める前は不安やったけど、案外行けるもんやな」
 そう言って孝之は笑う。
 俺はふと浮かんだ疑問を口にした。
「そういや、お前、いつから歩き始めたん?」
 てか、県外の高校に進学してなかったっけ。授業や部活はどうしたのだろう。
 何気ない気持ちで聞いてしまったのだが、それは無神経な発言だった。


法輪寺/境内(あゆみ・巳空)

 孝之と別れて、しばらくその場に立ち尽くしていた。
「お話、終わったん?」
 背後からあゆみの声。
「うん。……って、皆さまお揃いで。そんなところで何を……?」
 振り返ると、垣根の隙間から顔だけ出しているあゆみと他の面々。
「何って、あんたたちの邪魔にならないように気を遣ってあげてただけじゃない。感謝しなさい」
 相変わらずの淡桜節。
「さっきの誰? 誰?」
「一緒に居た男の子ぉ、結構好みのタイプかも」
 熊羽八と羅紗が、興味津々な様子で身を乗り出した。
「お二人とも真剣なお顔をして、いったいどんな話をしていたのかしら」
 癒安も聞いてくる。
 淡桜たちの姿があるということは、説教タイムは終わったようだ。
 俺は元クラスメイトとだけ答えた。
「ところで、何気に一人増えてないか?」
 一番端にちょこんと座る白い人。
「あ。どうもはじめまして」
 その服装は結婚式で見かけるような白無垢姿だ。そして肩には見覚えのある白いヘビ。
「先程はうちの白ヘビちゃん(仮名)がご迷惑をお掛けしたようで……なんとお詫びを申し上げればよいか」
 巳空は深々と頭を下げる。顔は怖いけど、いい人そうだ。
「えっと、白ヘビちゃん(仮名)……?」
「はい。この子の名前です」
 もう少しマシな名前をつけてあげようぜ。まあいいけどさ。
 とりあえず白ヘビの話は置いておいて、この白い人は結局誰なのだ。
「こちらは巳空(みそら)さん。このお寺の八八さんなんよ」
 俺の気持ちを察したように、あゆみが言う。
「恵がお友達と話している間に、お札もちゃんと貰ったよ」
 そう言って、あゆみは古文書を見せた。そこには九つ目の光が灯っていた。
「ふむ。……んで、お前って八八さん見えるようになったん?」
「……あ。そういえば」
 俺に言われて、あゆみは気づいたようだ。
「本当だ! 可視のお札使わんでも見えるみたい!」
 八八さんと縁を結んだのはこれで九人目。その間に八八さんが視えやすくなったのかもしれない。
 そう言いながら、わぁいと喜ぶあゆみ。だけど、その仕草はどこかぎこちなかった。

 なにはともあれ。
 熊谷寺で感じた『何か』、その違和感の正体がようやく分かった。
 それが分かって、俺はなんとなく安堵した。
『実は、あゆみは八八さんが視えているのではないだろうか』
 その微かな疑問は、確信へと変わったわけで。
 それはすなわち、あゆみは俺がいなくても巡礼を続けられるということ。
 だから俺は――

「俺、巡礼やめるわ」

つづく


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