第十五話<国分寺>

文章・キャラクター:SHIZUMU(OpenDesign)
挿絵:河原デザイン・アート専門学校
制作:OpenDesign


阿波のカミサマ・スダチノカミ

『うおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ!!!!』
『ごらあああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!』
 大地を震わせる咆哮、対峙するは異色の猛者たち。
 阿波のカミサマ・スダチノカミと美坊主・クウカイの、一〇八回目にして最後の試合が幕を開けようとしていた――――

「――って、全然意味が分からんのやけど……」
 むさ苦しい男たちを遠巻きに見ながら、俺は深く溜め息をついた。
 つい先刻までその群の中心に身を置いていたわけだが、いつまでも筋骨隆々の逞しい男衆に囲まれていては息が詰まる――と言うか、熱気と狂気の重圧に潰されてしまいそうで、その場にとどまり続けることは精神衛生上よろしくないと判断した俺は、早々にそこから離れたのだった。
 とはいえ、多少距離を置いたところで一帯に響く怒号が薄らぐことはない。
 時間が経つにつれ哮(たけ)りは激しさを増し、辺りは最早収拾がつかないほど喧々囂々(けんけんごうごう)としていた。
 それでも、試合とやらに巻き込まれるかもしれないという不安が和らいだだけでも――もっとも、眼前で繰り広げられる光景はあくまで“再現”で、つまり視覚情報として映し出されたものなので、端から巻き込まれる心配をする必要などないのだが――気分的には幾分楽になった。
 取り敢えず安全だと思われる場所に逃げ込み一息ついたところで、俺は視線をすぐ隣に立つ少年へと移した。
 どこからどう見ても女の子にしか見えない少年――漫画の世界に登場する“中国人っぽいキャラ”にありがちな団子に結んだ髪と膝上丈の袴という出で立ちが、一層彼を彼女と誤認させる――は、相変わらず薄笑いを浮かべていた。
 すだちと名乗った少年。
 こいつが元凶。
 俺を一二〇〇年前の“再現”とかいう意味の分からない場所に連れてきた張本人だ。

カミサマ・すだち

『カミサマなの、僕』
 ここに来る前、すだちはそんなことを口にした。
 阿波国(徳島)に棲むカミサマで、真名は「スダチノカミ」と言う。らしい。
 ちなみに、俺がイメージしている(であろう)“神様”と、こいつの言う“カミサマ”は少しばかり違うモノなのだそうだ。
 何がどう違うのかは、いまいちよく分からない。
 それを理解するには「そもそも“神”とは何ぞや」というところから追及しなくてはならない気がして、その場は軽く聞き流した。
 すだち自身、深く言及するつもりもなかったらしい。
 ただ一言、
『お兄ちゃんみたいなのに、わざわざ“神様”が姿を現すわけないじゃん』
 と、言った。
 その顔が「そんなことも分かんないの、お兄ちゃん? ぷっぷー」と言わんばかりの表情で、ちょっとばかりムカッとしたけれど。だけど、それで何となく理解できた。
 すだちが言った「みたいなの」の「の」には「凡人」とか「取るに足らない一般人」とか、そういう言葉が省略されていて、“神様”を辞書通り≪人知を超えた概念・不可知の存在≫とするなら、俺「みたいなの」が視ることのできる“カミサマ”は“神様”よりヒトに近い存在ということだろう。種としてではなく、単純に距離的な意味で。
 八八さんの神社バージョン(?)みたいなものだと思った。
 四国の八十八箇所の寺に「八八さん」と呼ばれるモノが棲んでいるように、神社には「カミサマ」と呼ばれるモノが棲んでいる、ということだ。
 八八さんとの違いといえば、行動範囲の広さぐらいだろうか。
 幼い頃からそれとなく順応性が高い俺は――それは“適応する”というより”諦める”という消極的な感情によるものだけれど――隣でほくそ笑む団子頭の正体が“カミサマ”だろうと“男の娘”だろうと“他のモノ”であろうと、然程気にはならなかった。
 それがナニモノかを考えるより、ただ漠然と、それは“そんなもの”だと受け入れてしまったほうが楽なのだから。
 たいさんや八八さんたちと出会って、尚更そう思うようになった。もっとも、そう思わなければやってられない、という言い方もあるけれど。
 要は、自分に危害さえなければ、それでいい。
 だけど。
 その観点から言えば、今回は一つ――いや、自分以外を含めるなら二つ、か――問題があった。
『お兄ちゃんたちは大嫌いかな』
 さらりと。
 無邪気な笑みを浮かべて、あいつは言ったのだ。
 危害とは程遠く――さらに付け加えるなら、あまりにも清々しく面と向かって言われたものだから、案外そこには悪意や敵意はなかったのかもしれないと思えなくもなかった――それこそ“そんなもの”だと思って聞き流すこともできたはずだ。
 いや、後から考えると聞き流すべきだった。深入りするべきではなかった。
 だけど、気になってしまったのだから仕方がない。
 すだちと名乗る“カミサマ”に、それもほぼ初対面のヤツに、どうして「大嫌い」と言われなくてはならないのか。
 ことさら好かれたいわけでもないけれど――べ、別に、悔しくなんかないけんね!――身に覚えがない分、釈然としなかった。
 そして、おまけ程度に付け足すなら――むしろ、こっちのほうが危害云々に値する話だと思わなくもないけれど。
 どうして、たいさんが狙われたのか。
 それが少し気にかかっていた。

美坊主・クウカイ

「意味が分からんのやけど……」
 俺はもう一度同じ台詞を口にした。
 草原を埋め尽くす緑髪のマッチョ集団と、それに従う緑色の謎生物。そしてこれまたムキムキマッチョな禿(は)げ集団。
 すだちが俺――いや、あいつは「俺“たち”」と言っていたっけ――を疎ましく思っている理由。それを教えてもらうために、俺はすだちに連れられて“この場所”に来たのだ。
 そして、そこで目にした光景が“これ”である。本当に意味が分からない。
「何なんだよ、スダチノカミとクウカイの試合って……。てか、俺が何をどうしたら一二〇〇年前の出来事に関われるってんだ……」
 人間という生き物は、不可解なことに遭遇すると戸惑いを通り越して憤りを覚えるのかもしれない。だんだん腹が立ってきた。
 いろいろと思うところはあるけれど。
 一番言いたいことは、
「何が悲しゅうて、半裸の野郎共を眺めて過ごさなくてはならないのか」
 ――ということだ。
 もしこれが“きれいなお姉さん”の群だったなら、まだ我慢できたのかもしれない。嘘だけど。
 ああいや、決して“きれいなお姉さん”に興味がないということではなく、そんなことは考えていなかったという意味で。――って、俺は誰に何を弁明しているのか!?
 そうこうしている間に、男たちは人数を増していく。
 どこから湧いてきているのか。そして、どこまで増えれば気がすむのか。
 あまりにも意味が分からなすぎて、そろそろ考えることを放棄しようかと思い始めたとき、ふと気がついた。
 スダチノカミ対クウカイ……?
「あのさ、緑軍団の先頭のあいつ――長髪で、頭に変な角が生えてて、上半身裸で、一歩間違えれば変態にしか見えない筋肉野郎って…………もしかして、お前?」
 すだちはその言葉に目を見張って、だけどすぐに半眼になって俺を睨みつけた。
「均整のとれた肉体を前にして変態だなんて。言ってくれるよね、お兄ちゃん」
 直接的な回答ではなかったものの、不機嫌極まりない素振りで唇を尖らせる様は「イエス」ということだろう。
「なんで昔より今のほうが縮んでんだ?」
「うるっさいなー。イロイロ事情があるんだよ、こっちにも!」
「そうなのか……」
 俺の素朴な疑問は、苛々全開の返答で打ち落とされた。どうやら触れられたくないことだったらしい。触らぬ“カミ”に祟りなし、それ以上の追求はしないでおく。
「じゃあさ、美坊主・クウカイって……もしかしなくても、お大師さん?」
 そう言いながら、緑軍団の反対側――眩く煌めく禿げ集団の、その中でも一際耀(かがや)きを放つ存在に視線を向けた。
「そうだよ。でもま、知ってるとは思うけど、『弘法大師』って後の時代のヒトがつけたものだからね。当然この頃は『お大師さん』なんて誰も呼んでなかったよ」
 すだちの言う通り、「弘法大師」というのは空海が入定した八十六年後に、醍醐天皇から賜わった諡号(しごう)だ。
 最初は「本覚大師」の諡号が贈られることになっていたが、弘法利生(こうぼうりしょう)――仏の教えを広め、衆生(しゅじょう)に利益を与えること――の業績から「弘法大師」が贈られることになったのだと伝えられている。
 ところで、お大師さんの俗名は――先日、切幡寺の大塔の前でものっすごい眠気に襲われている最中に、たいさんがゴチャゴチャ言っていた気がするが――佐伯真魚(まお)という。
 現在の高知県室戸市の室戸岬にある御厨人窟(みくろど)で修行をしていたとき悟りを開き、そのとき洞窟の中から見えていたものが空と海だけだったので「空海」と名乗るようになったのだと言われている。そこに至るまでには「無空」「教海」「如空」を名乗っていた時期もあったとか。
「彼と僕は、彼が幼い頃から顔見知りなんだ。だから、僕は彼のことを『マオマオ』って呼んでいたんだよ」
 と、すだちは言った。
 ちなみに、すだち――真名スダチノカミは「スダッちん」と呼ばれていたそうだ。何だろう……とても嘘くせぇ。
 まあ、二人が何て呼び合っていたのかなんて、この際どうでもいいのだが、約(つづ)まるところ。
「お大師さんとお前って、結局どんな関係なん? それと、いい加減この状況の説明を頼む」
「ん? ああ、そうだね」
 すだちは「んーと、何から話そうかな」と、腕組みをしてしばらく考えた後、口を開いた。
「昔はね、僕たちとヒトって、もっと近かったんだよ。種は違うけど同じ場所(共同体)で暮らしていたし、お互いが干渉し合える環境だったんだ。で、幼い頃のマオマオと知り合って意気投合して、彼が大人になってクウカイって名乗るようになってからも僕たちは一緒に遊んだりしたんだ」
 その「遊び」というのが、この数百人規模の怒号飛び交う試合らしい。
「遊びと言うには激しすぎはしないか……? この動員数だって、どう考えてもおかしいやろ」
「仕方がないじゃん。マオマオが大物になっちゃって、弟子をどんどん増やしてくんだもん。僕だって、遊びとは言え負けたくないから仲間をどんどん集めるでしょ? そんなことをしてたら、いつの間にか“仕合”になって、しまいには“合戦”って呼べる規模にまで発展しちゃったんだよ」
 すだちは「二人とも負けず嫌いだったからね」と、ころころ笑った。
 年に二、三回の頻度で開催された二人の試合は、いつしかこの地域の恒例行事にまでなっていたそうだ。
「ところでさ、阿波国のカミサマがどうやって讃岐国(香川)生まれのお大師さんと知り合いになったん?」
「え? どうやってって、讃岐に遊びに行ったときに知り合ったんだよ。そこのカミサマに『変なヒトの子がいるから見に来い』って誘われて。……この質問に何か意味あるの?」
「いや。カミサマって八八さんに比べて、随分自由に動き回れるんだなって思っただけ」
「そんなの当たり前じゃん」
「当たり前なのか……」
 それにしても、讃岐のカミサマとか。その流れだと伊予(愛媛)と土佐(高知)にもいるんだろうな。きっと。
「懐かしいなー。マオマオとの出会いかぁ。あのとき彼はまだ三、四歳だったっけ。可愛かったんだよ、ちっちゃくて色白で。でも、かなりぶっ飛んだところがあって、不思議な子だったんだよね」
「へえ……」
 何かのスイッチが入ったのか、聞いてもいない思い出話を流暢に語り始めたすだちに、俺は適当に相づちを打った。
「粘土遊びが好きでね。粘土をこねて蕃神(となりのくにのかみ)の像を作って、草とか竹を刈り取って作った小さな庵に安置するって遊びをよくしてたよ」
「渋いな」
 と言うか、それは遊びなのか?
 流石はお大師さんだと言えなくもないけれど。ただ――俺が気にすることでもないが――ちゃんと同世代の友達がいたのだろうか。少し心配になった。
 それより、聞き慣れない言葉が出てきた。
「となりのくにのかみって?」
「蕃神は“ホトケ”のことだよ、お兄ちゃん。他所から来たモノをそう呼んでたときがあったのね。客神(まろうどがみ)とか今来神(いまきのかみ)とも。ちなみに僕は日本生まれの日本育ちだよ。でも“神様”じゃないから『八百万神(やおよろずのかみ)』には属してないんだ」
「ふぅん。いろいろ面倒くさいのな」
 八百万神とは数多くの神という意味。似た言葉に八十神(やそがみ)、八十万神(やそよろずのかみ)、千万神(ちよろずのかみ)がある。古来日本では「八」は数が大きいことを表すときにも用いられた。「八重桜」とか「八雲」とかがそうだ。
「――一番印象に残ってるマオマオとの思い出? ん~……そうだね」
 幼少時代のお大師さんに話題を戻す。
「やっぱ、七歳のときの“アレ”かなぁ。ある日の昼下がり、マオマオと二人で讃岐国の倭斯濃山(わしのやま)ってところで優雅にティータイムを楽しんでいたんだ」
「日本の神様モドキがティータイムとか言うなよ……」
 しかも、時代錯誤も甚だしい。
 俺の横槍には無反応のまま、すだちは話を進める。
「そのとき何を思ったのか、マオマオは突然山の頂に向かって走り出して――もちろん、僕もすぐに後を追いかけたんだけど追いつくことができなくて――彼はそのまま、頂きから飛び降りちゃったんだ」
「!!?」
 思わず咽(むせ)た。
「そう言えば、『儂(わし)は仏の道に生き、多くの人を救う美坊主になる! その資格があるならばこの命は救われるはずだ! なければ命を捨てて、この身を諸仏に捧げるまでだー!!』とか叫んでたなぁ、飛び降りる直前。しかも高笑いしながら」
「うわー、本当にぶっ飛んだ子供だったんですねー」
 平凡な俺には真似できないわー。と、覚えず棒読み口調の感想が口をつく。
 現代なら確実に痛い子の烙印を捺(お)されてたんだろうなあ。
 しみじみと考えていると、
「――あああ!!!」
「うわぁ、イキナリ叫ぶなよっ!」
 すだちの大声に、俺もつられて声を上げた。
「お兄ちゃんが余計な話させるから、試合が始まったの気付かなかったじゃん!」
「え、なんで俺のせい? 勝手にベラベラ喋り始めたんはお前だと思――」
「ああもう、そーゆーコトはどうでもいいからっ。ほら、もっと間近で見るよ!!」
「!? 待て、おい」
 すだちに腕を引っ張られて、筋肉集団の渦へと飛び込んだ。
 嗚呼……。折角、逃げてきたのに。

すだち汁

 せめぎ合い衝突する鍛え抜かれた肉体。
 目と鼻の先で、上半身裸のロン毛男と法衣を破り捨てた坊主たちが、掴み合い、揉み合い、激しく絡み合っていた。
 時折り、こっちに向かって鋼のような巨体が突っ込んでくることもあったけれど、それらは触れることなくすり抜けていくので、自身が巻き込まれて怪我を負うようなことはなかった。
 だからと言って、全くの無傷かといえば、そうでもない。
 視界はせめぎ合う半裸の男で埋め尽くされ、止むことなく鳴り響く雄叫びが耳を劈(つんざ)く――こんな状況に身を置くこと自体がすでに毒なのだ。
 つまり、物理的ダメージは皆無でも、精神的ダメージは受けまくりということで。
 俺は、肌色の波に酔って地面に突っ伏した。
「せめて服着て戦えよ………………ガクリ」
「あれー? お兄ちゃん、何倒れてんの?」
 対照的に、すだちは至極楽しそうだった。
 それもそうか。自ら参戦していたわけだし。
「ほらほら、もうすぐスダチノカミの奥義が出るよ。見逃したら損だよ!」
「……奥義?」
 頭痛と胸焼けに倒れていた俺だったが、「奥義」という言葉に反応して顔を上げた。
 瞬間、取っ組み合いをしていたスダチノカミ側の面々が一斉に間合いをとる。
 そして――
 緑色の玉を取り出した! ……って、まさか。
『喰らえ、奥義――――すだちポイポイィィィィ!!!!!!』
「やっぱり、それか!!!!」
 誰が命名したんだ、「すだちポイポイ」とかいう、ふざけた技名!
 しかし、そんな技名とは裏腹に、威力はそこそこありそうだった。
 何せ、数が数だ。一瞬にして視界は緑一色に包まれた。
 そして、放り投げられたすだち(柑橘類)が一直線に宙を飛び、目標に向かって弧を描きながら一斉に降り注ぐ。それは弾丸の雨と比喩してもいいくらいの激しさだった。
「てか、食べ物投げんなよっ!!」
 こんな状況でも――むしろ、こんな状況だからか?――ツッコミを欠かさない俺に、すだちは、
「実はアレ、すだちじゃないんだよ」
 そう言って、胸の前に差し出した手の平にすだち(柑橘類)を一つ出現させた。
「試合に使うのは、僕たちの“気”を固めて作ったモノ。だから当たっても痛くないし、怪我をすることもないよ。自然にもヒトにも優しい素材なんだ」
「むふ。確かに、フニフニとして柔らかい……」
 渡されたソレを、俺は指で弄ぶ。
「投げるときはちょっと固めて、勢いよく飛ぶように細工するんだけどね」
「ふーん」
 フニフニフニフニ。
 何とも癖になる触り心地だった。
 フニフニフニフニフニフニフニフニフニフニフニフニ。
「って、お兄ちゃん。いつまでフニフニしてるの。あまり触ると弾け――」
 パァンッ
 小気味のいい音を鳴らしてソレが弾けた。
「もう、だから言ったのに」
「……」
「ま、弾けたところで、すだちの爽やかな香りと緑色の汁が飛び散るくらいだよ」
 大量の緑汁――ピンポン玉サイズのソレに含まれていたとは到底思えないほどの量だ!――を頭からかぶった俺。白色のTシャツが真緑に染まった。
「…………そういうことは早めに言おうぜ」
 独りごちりながら滴りを拭っていると、誰かの声が耳に入ってきた。
『ふっ。流石はスダッちん、なかなか手強い技を使うではないか!』
 誰かと思えば、マオマオこと美坊主・クウカイだった。無駄に言い声だな、おい。
 その声だけが際立って聞こえるのは“再現”による演出なのか。はたまた、美坊主・クウカイの発するそれが、喧騒さえ寄せつけないほどの美声だったからなのか。
 何にせよ、お大師さんがスダチノカミのことを「スダッちん」と呼んでいたことは確かだった。
『だが、儂らも負けてはおらんぞ!!』
 高々に宣言する。
『皆の衆、儂に続くのだ! この日のためにあみ出した新奥義を魅(み)せるときだぞ!!!!』
『うおおおおおおおおおおおお!!!!!』
 美坊主・クウカイの喊声(かんせい)と、それに沸く弟子たち。
『いくぞ、奥☆義――――』
 禿げ集団は各々何かを取り出してそれを高く掲げた。
 ――剃刀だ。
「おい、刃物は駄目だろ――!?」
 “再現”に俺の声が届くはずはなく。
 無数の刃先が一斉にスダチノカミとその取り巻きに向けられる。
『ジョリジョリビィィィィィィィィィムッッッ!!!!』
「!? ――ま、眩しい!!!!」
 草原一面に閃光が迸(ほとばし)る。
「って、太陽の光を禿げ頭で反射させただけじゃねーかっ! 剃刀関係ねーし! てか、昔の人がビームとか言うなああああああ――――ゲホゴホッ」
 連続で叫び過ぎたせいで声が涸れた。
 その隣ですだちが呟く。
「流石は百七連勝中の僕に勝つために生み出した新奥義……」
「ゴホッ。……ん? てことは、お大師さんって一勝もしてないってこと? えっ、弱すぎじゃね? ――って、おい、大丈夫か!?」
 すだちは青白い顔をして、震える肩を抱きしめるように立っていた。
「ん……平気。“再現”だと思って、正直油断してたよ……」
 途切れ途切れに、すだちは言葉を紡ぐ。
「流石、マオマオ渾身の技……!」
 それほどまでに、あの新奥義ってやつは強力なのか!!!?
「……って、すまん。俺にはまったくあの技の凄さが分からんのだが」
 最早、どこまでが本気で、どこからが冗談なのか分からなくなってきた。
 だけど、すだちはいつになく真剣な面持ちで、
「あれから一二〇〇百年も経ったというのに、まだ身体が覚えてるなんて」
 と、唇をギュッと噛みしめた。マジで何なの、この状況。
「あー、すだちさんすだちさん。もう少し分かりやすく説明してくれると有り難いっス」
「…………」
 俺の言葉にすだちは黙り込んでしまった。うーん、またしても地雷を踏んでしまったらしい。
 時間差で憎まれ口の一つや二つ飛んでくるかと思いきや、「うん、そうだよね」と言って俺のほうに顔を向けた。
「お兄ちゃんには分かんないよね。だから、お兄ちゃんにも分かるように順を追って説明してあげる」
「おう、サンキュ……」
 そこまで丁寧な説明は求めていなかったのだが、今更断り辛い。俺は大人しくすだちの言葉の続きを待った。
「僕たちは試合でいつも賭けをしてたんだ」
 賭けの報酬は「勝者は敗者に何でも一つ命令できる権」というものだった。
 スダチノカミが勝てば、美坊主・クウカイとその弟子に、阿波の地ですだちの植樹に従事してもらう。
 一方、美坊主・クウカイが勝てば、スダチノカミとその従者に改宗を求める――と言っても、修行の一日体験に参加するだけだが。
「一日体験っていっても、見た目にこだわるマオマオは頭を剃ることから要求したんだ。ひどいよね。艶のある長い髪は、僕の美貌を引き立たせる欠かせない要素なのに。まぁ、それのおかげで、より勝利に執することができたんだけどね」
 なるほど。頭を剃りたくないという意地が、相手に一勝も許さなかったのだろう。そんなに嫌なら賭けなければいいのに。
「だから」
 すだちは拳を握りしめる。
「その髪を脅かす剃刀はそれだけで十分威嚇になる得るし」
「成り得るのか」
「それを高々と掲げる行為は、勝利宣言とも言えるから、それを見たマオマオの弟子たちは一気に士気を高め、僕たちは少なからず動揺をする」
「そんなんで動揺するなよ」
「一見、ただの目眩(めくらま)しにしか見えない新奥義だけど、その真価は剃刀を掲げるという構えが生み出す威嚇の力にあるんだ」
「ふぅん。……明らかに目眩しのほうが凄いと思うけどな」
「もう! お兄ちゃん、いちいちツッコミうるさい!」
 すだちは頬を膨らませて抗議する。
 俺はそれを軽くあしらいながら考えていた。
「でもさ、“すだちっぽいモノを投げる”対“威嚇と目眩まし”で、どうやって決着をつけるんだ?」
 どちらかが戦意を失うまで延々泥仕合を続けるとでも言うのだろうか。
「勝敗はね、ほら、あの集団の真ん中に二人立っているのが見えるでしょ?」
 すだちの指先を追っていく。
 集団の外側から中心に向かって、よく見れば三つの陣営に分かれていた。
 一番外側には、すだち(柑橘類)っぽい何かを投げている面々と、剃刀を構えて威嚇する面々。
 その内側で、筋力に自信のあるのだろう体格のいい男たちが肉弾戦を繰り広げている。
 そして、さらに内。集団の中央部分にはぽっかりと空間が空いていて、そこに二人の男が立っていた。互いに右手を差し出し、握り合ったまま微動だにしない。
「ああ、居るな。で、何してんだ? 握手?」
「あの二人が今回の試合の代表闘技者なんだよ。彼らの勝敗がこの試合の勝敗ってわけ」
「ふーん」
「ちなみに、このときの種目は“指相撲”ね」
「地味だなっ!」
 言われてみれば、二人の親指が絶えず動いているように見える。そして、この時代に指相撲があったかどうかなんてのは、野暮なツッコミというものだろう。
「だったら、周りのやつらって全員……」
「あー! お兄ちゃん、もしかして『周りのやつら要らなくね?』とか思ってるでしょ!?」
「もしかしなくても、思ってる」
「そんなこと言っちゃダメだよ! この試合はみんなが必要なの。邪魔者扱いしないでよね! 僕たちの試合は団体戦で、みんなの力が代表闘技者に集まって、それが勝負を左右するの!」
 個人の能力より、集合体としての力の統一性(バランス)を重視するという、カミサマ対ヒトの試合の特徴――所謂、「カミサマルール」ってやつらしい。
 だからこその外野の盛り上がり。やり過ぎじゃね?と思うほどの騒ぎ、正当(?)な理由があったのだ。
 だからといって、代表闘技者の戦いが霞んでしまうほど周りが騒いでは、代表者の立場がないと思うんだ。
「決戦の種目って、指相撲の他に何かなかったん?」
「んーと。剣術、槍術、弓術あたりが多くて……」
「おお、真面な種目もあったんや」
 すだちのことだから時代錯誤のとんでもない名前とか飛び出してくるのかと思えば、存外普通の回答が返ってきた。
「あとは蹴鞠(けまり)、石投(いしなご)、独楽(こま)、双六(すごろく)かな。あ、籤引(くじびき)ってのもあるね」
 勝敗を決めない平和な遊びの蹴鞠で、どうやって白黒つけるのだろう。単純に玉を落とした人が負けなのだろうか。それにしても。
「なんか、指相撲に負けず劣らず地味な種目ばっかだな」
 案外、慎ましい遊びの方が好きなのかもしれない。
「まぁ、そんなのはどうでもいいじゃん。僕たちの試合だけどね」
 すだちは若干逸れていた話を戻す。
「結果だけ言うと、マオマオの新奥義『ジョリジョリビィム』に動揺した僕たちは、この一〇八回目の試合で初の黒星をつけてしまったんだよ」
 と、すだちが試合の結末を告げると同時に、草原の喧騒が消えた。
 “再現”が終わったのだ。ふっと、全身の力が抜けた気がした。
 取り敢えず、これまでの話を整理しよう。
 と、思ったものの。
 さっきまでの喧々たる雄叫びが今も残響として聞こえてきて――さらには、長い間半裸の野郎集団に囲まれていたという精神的疲労が頭痛に変わって――それが思考の邪魔をしていた。
 だからといって、目的の“答え”にまだ至っていない以上、思考を止めるわけにはいかない。
 仕方がない。ここはひとつテンションを上げて乗り切ろう。
 俺は大きく息を吸って吐き出した。
「まず、ひとーつ! カミサマであるすだちさんは、本名スダチノカミ、通称スダッちん! そして、お大師さんこと弘法大師・空海は、またの名を美坊主・クウカイ、通称マオマオ! 二人は親友で試合をして遊ぶ仲だったというわけですな!?」
「え、あ、うん。そうだね」
「試合の成績はスダッちんの圧勝。そして、一〇七対〇で迎えた、第一〇八回目の試合!! そこで事件は起きた!!!!」
「お兄ちゃんに愛称で呼ばれるのって、何かビミョー……」
「果たしてっ! 一〇八回目の試合に何があったのかあああああ!!!!」
「むしろ僕はお兄ちゃんに何があったのか知りたいよ」
「またしてもスダッちんの勝利で幕を下ろすかと思われた一〇八回目の試合! しかーし! マオマオも負けてはいなかった! 流石に煩悩の数だけ連敗を重ねてはいけないと思ったのか、ここにきて新奥義を出してきたのだぁぁ!!!!」
「僕の疑問は無視なんだね。ま、どうでもいいけど、巻きでお願いできないかな?」
「折角ノッてきたところだけど、オッケーオッケー! せっかちな君のために、さっさと結果だけ言っちゃうYO!」
「……お兄ちゃん、ウザい」
「一〇八回目の試合で、ようやくお大師さんが一勝をあげて、お前の連勝記録がストップしたんだよな。つか、さらっとウザいとか言うな」
「うわ、何その変化。僕、ちょっとお兄ちゃんのことが心配になってきたよ。頭、大丈夫?」
「うわ、何その言種。俺はいたって普通だが、何て言うか“再現”を見た精神的疲労とストレスってやつ? そのせいで上手く頭が働かんから、気分転換でもしようかな、と」
「まったく、疲れを奇行で発散しようとしないでよね」
「はいはい。で、話を戻すけどさ。さっきの話だと、俺が嫌われる理由も、たいさんが狙われる理由も分からずじまいなんだが」
「『はい』は一回! ――そうだね。でも、ここからの話は面白くないから、かいつまんで話させてもらうよ」

草原

 一〇八回目の試合の後。
 僕は約束通り、修行の一日体験をしたんだ。頭を丸めて。
 自慢の髪を失うのは辛かったけど、いつもとは違う体験ができたからあれはあれでよかったと思うよ。案外楽しかったし。
 修行を終えて、マオマオと僕はいつものように再戦を約束をして別れた。
 それから、僕は再戦の日を楽しみに待った。新しい技を考えたりしながら。
 だけど。
 僕たちが再び試合をすることはなかった。
 マオマオがいなくなってしまったんだ。
 修行をした日――再戦を約束した、あの日の翌日、マオマオは入定したって、後から聞いた。
「ちょっと待った! お大師さんって六十一歳で入定したって聞いたんやけど。ってことは、あの試合をしたとき、お大師さんはすでに還暦過ぎ……!?」
 …………そうだよ。
 そうなんだけどさぁ、お兄ちゃん。他人の回想に勝手に割り込んでこないでよね。
「あ。ごめん」
 ……まあ、いいけど。
 僕はマオマオが入定したって聞いて、いなくなったことよりも、いなくなる前に何も言ってくれなかったことのほうが悲しかった。
 何で黙って姿を消してしまったのか。
 また試合をしようって、約束したのに。
 僕は、最後の試合の舞台になった草原を訪れては、独りで考えることが多くなった。
 その様子を近くの村に住むヒトが見ていたんだ。
 そして、考え込む僕の姿を見てヒトは――あの頃のヒトも、やっぱり“神様”と“カミサマ”の違いが分からなかったんだね――「神もヒトと同じように悩みを抱えている」と言うようになった。
 やがて「神も苦しみから逃れることを願い仏の救いを求めている」という風評がこの国に広がった。
 それからだよ。僕たちとヒトとの関係が崩れたのは。

「時が流れて、それは『神身離脱』とか『神仏習合』とかいう言葉に片づけられて、今ではもう、その本質を知るヒトは数少なくなってしまったのだけど。言葉だけなら、お兄ちゃんも聞いたことあるでしょ?」
「ああ、確か――」
 五五二年に仏教が公伝して以降、日本人は“仏は日本の神々と違う性質を持っている”と理解しはじめた。
 そして、仏のもとに神と人間を同列に位置づけ、神も人間と同様、悩み、苦しみから逃れたいと願って、仏の救いを求め解脱を欲していると考えられるようになった。それが「神身離脱」。
 ただし、このときはまだ神と仏は同じ次元、同じ共同体の中で、あくまで別の存在として認識されていた。
 だけど、やがて仏のほうに優位性を見出し、神をそこに取り込もうとする思想――本地垂迹説を唱える者と、それに相反して、神こそが本来の姿であり仏は仮の姿だとする、逆の思想――神本仏迹説を唱える者が現れた。
 その二つの思想は、どちらを優位と捉えるかで相違はあるものの、共通する性質を有していた。
 日本古来の神と仏を融合させるということ――すなわち、神仏習合だ。
 とまあ、教科書を要約しればこんなところだろう。
「そのせいで僕たちは徐々に力を失くして、ヒトは益々僕たちを視なくなったんだ。そうなるともう、悪循環だよね。僕の力はどんどん弱くなる一方で、今ではほら、こんな小さな姿しか保てない」
 すだちの言葉には悲哀と憤りが感じられた。
 だけど。正直、見た目だけ考えると、今のままの方がいいんじゃないかと思う。
 筋肉ムキムキの長髪男よりも、団子頭の“男の娘”のほうが断然好――いや、可愛らしいと思うんだ。客観的に見て。あくまで、客観的に見て。
 だが、本人は大きい姿のほうを気に入っているらしい。
「この僕が、こんなちっちゃくて軟弱な姿で過ごさなきゃいけなくなったのは――」
 ビシィッと効果音が聞こえてきそうなほどの勢いで、すだちは俺の鼻筋に人差し指を突きつけた。
「草原で悩む僕を見て、みんなに言いふらした村人――つまり、『神身離脱』とか『神仏習合』とか、そのきっかけを作ったヒトのせいなの!」
「あ、ああ。そうだな」
 言ってることは分からなくないが。だからといって、俺に八つ当たりするのはお門違いというものだろう。
「お兄ちゃん、何自分は部外者だ、みたいな顔してんの!?」
「みたいな顔もなにも。事実、部外者やろ、俺」
「はぁ!? 何言ってんの? その村人ってのが、お兄ちゃんの祖先にあたるヒトなんじゃん!!」
「そこに繋がるのか!!!」
 まさか、そこで繋がるとは。
「だが、それは俺の祖先であって、俺じゃあない。よって、俺がとやかく言われる道理はない」
 すかさず反論する。
 だが、すだちも負けてはいなかった。
「ふふん、知らないの? 日本の“神様”は本来祟るモノなんだよ。しかもほら、祟りは七代先まで言うじゃん」
「七代祟るって猫の恨みじゃなかったか?」
「あれ? そうなの?」
「いや、知らんけど。ただ、祟るにしても一二〇〇年前からなんだろ? 一世紀四世代で単純に計算したとして、俺は四十八代目になるわけで、とっくに範疇の外だと思うんだ」
「あれれ?」
「しかもお前、自分で“神様”じゃないって言ってなかったっけ?」
「あれれれれ?」
 グダグダだった。
 ちなみに、七代云々の理由は、八代目には血の濃さが一パーセントを切るので赤の他人と同じになるからだ、というものらしい。だから、四十八代目ともなれば言わずもがな。
「――まあいいわ。百歩譲って、お前が俺に突っかかってきた理由は分かったことにしてやるよ」
「うわー何なの、その上から目線。その勝ち誇った態度。ムカつくんですけどー」
 すだちが口を尖らせてブーブー言う。
 俺は無視して続けた。
「だけど、たいさんを狙った理由が一向に見えてこんのだが」
 その言葉に、すだちはスッと真顔になった。
「それなんだけどね」
 一呼吸おいて、言った。
「ごめんね、お兄ちゃん。僕は一つ、思い違いをしてたみたいなんだ」

***

常楽寺(流水岩の庭)

「ああ! 恵ってば、こんなところにいた!!」
 フリルのついた白いスカートを翻しながら、あゆみが走り寄ってくる。
「もうっ! 先に歩いてったはずの恵が、境内中どこを探しても居らんのやもん。すっごい心配したんやけんね!」
「あ、ああ……ごめん」
 辺りを見回すと、そこは常楽寺の庭園――流水岩の庭の片隅だった。
「えっと……俺、何してたんだ?」
「?」
 あゆみは顔にクエスチョンマークを浮かべながら黙って俺を見ていたが、すぐに睨むような目で、声をとがらせて言った。
「そ、それはこっちの台詞やけん、恵! 一体、今までどこに行っとったん!?」
「どこって……」
 常楽寺に着いて、本堂に向かって、それから俺は――
「……」
 無言のまま固まって動かない俺に、あゆみは呆れたように肩をすくめる。
 だけど、心底安心したような声で「無事でよかった」と小さく呟いた。
 それから、あゆみはクルリと俺に背を向けると、
「みんなー! 恵、見つかったよー!」
 と、誰もいない境内に向かって呼びかけた。
 その声に、八八さんたちがわらわらと現れ出る。
 そこには中性的な顔立ちをした八八さんの姿もあって、彼女は眠たそうにあくびを繰り返していた。
「あ、恵に紹介しなきゃね」
 俺の視線の先がどこに向いているのかに気づいたあゆみは、手招きして彼女を呼び寄せた。
「こちら、常楽寺の八八さんで」
「閃さん――だろ?」
「え? なぁんだ。恵と閃さんって初対面じゃなかったんやね」
「うん。さっき会――」
 会った、と言おうとして、それを飲み込んだ。
 ――会った?
 いや、会ったことはあるはずだ。それは間違いない。目の前の彼女を“知ってる”のだから。
 でも――いつ?
 どこで知り合ったんだっけ?
 ドクンと心臓が鳴った。
「? 恵、どうかした?」
「いや、……」
 口ごもる俺の前で、俺の疑問を代弁するように、
「はて。君と私は、どこで出会ったのだろう」
 と、閃が首を傾げた。
「少なくとも、私が彼に名を明かした覚えはないし、そもそも言葉を交わした記憶すらない」
 そう言って、閃は大きくあくびをした。
「え? どういうこと?」
 あゆみが俺と閃の顔を交互に見比べる。
 どういうこと? それは俺が知りたい。
「…………」
 気まずい沈黙が落ちる。
 その空気を破ったのは一つ前の札所の八八さん、結花(ゆな)だった。
「き、きっと! 閃ちゃんのことだから、寝惚けたまま自己紹介しちゃったのよ」
「なるほど、その可能性は否定できない」
 結花の言葉に、頷く閃。
「しかし、流石の私でも、初対面の相手に寝惚けたまま挨拶をするような無作法な真似は……」
 うむむ、と。何だか深刻な顔をして悩み始めた閃さん。
「……………………。ぐぅ」
「ちょっ、ちょっと! 悩む振りして寝ちゃダメだよ!?」
 立ったまま寝るという器用な技を披露した閃を、結花は慌てて揺り起こす。
 その二人を見て。
「ああ、そうだ。俺が名前を知ってたのは、閃さんから直接聞いたわけじゃなくて、結花さんがそう呼んでたのを聞いたから――」
「ほえ? あたし、ですか?」
 結花は素っ頓狂な声を上げた。
 黒く丸い瞳に俺を映しながら、そして言った。
「それこそ、あり得ないですよ。あ、いえ、あり得ないと……思います」
 結花は後からとってつけたように「思う」と言い直した。
 その一言で、俺には十分すぎるほど伝わった――断定を好まない結花が、つい「それはない」と言い切ってしまうくらい「あり得ない」ことなのだと――が、結花は丁寧に言葉を補った。
「大日寺を発ってここに来るまで、あたしは癒安姉さんと話していましたし……ここに来てからも、ずっと癒安姉さんと一緒でした」
 結花は自分のすぐ隣に立っている癒安に、同意を求めるように視線を送った。
 癒安は「うん、そうだよ」と肯(うなず)く。
「行方不明の恵ちゃんを探すときも、ずっとね」
「…………」
 何だろう、この違和感は。
 だけど、自分の記憶に確信が持てない。
 意見の食い違い。
 認識のすれ違い。
 相手の言い分が正しいのか。自分は、間違っているのか。
 ――何か、気持ちが悪くなってきた。
「恵? 大丈夫?」
 あゆみが俺の顔を覗き込む。
 その後ろで、淡桜がふんっと鼻を鳴らした。
「あんたのほうが寝惚けてるんじゃないの? さっきまでどこに行ってたか知らないけど、大方、自分でも気づかないうちに眠りこけて、夢でも見てたんでしょ」
「くっ……」
 悔しいが、今回ばかりは返す言葉がない。
「あらあら、姉さまったら相変わらず威圧的な物言いですこと」
 二葉が口を出す。
「そんなんじゃ恵さんに嫌われてしまいますよ。ねえ、恵さん? くすくすくす」
「ふ、ふん! 別に、こいつに嫌われようが痛くも痒くもないわよ! って言うか、好かれるほうが迷惑だわ!」
 二葉の揶揄した言い方に、淡桜は顔を赤くして怒鳴る。そして、なぜか俺を一睨みして、そのまま姿を消した。
 そんな姉二人のやりとりに、癒安と結花が吹き出した。
「ふふ、相変わらず仲良いよね。淡桜お姉さんと二葉お姉さん」
「くすっ、そうですね」
 重苦しかった空気が、少し軽くなった気がした。
 ふと横に視線を向けると、さっきまで不安そうに眉をひそめていたあゆみも普段の笑顔を取り戻していた。
 そして、俺の背中をポンと叩いてあゆみは言った。
「人間なんやけん、いろいろ勘違いするってこともあるって。それより、早く次の札所に行こ。――ね?」
「……ああ。そうだな」
 釈然としない気持ちを振り払って、俺は頷いた。
 取り敢えずは。
 今日の巡礼を終わらせること――第十七番札所まで到達することだけを考えよう。
 時計の針は、もうじき十五時を指そうとしていた。
 残り二時間で、巡る寺はあと三つ。余裕があるとは言えない。
「次は、十五番札所の国分寺か」
 そうと分かれば長居は無用だ。俺たちは境内の外へと向かった。
 断層が剥き出しになった流水岩の庭園を横切り、石柱門――常楽寺には山門はなく、二本の石の柱が、その代わりになっている――を抜けたところで。
 少し前を歩いていたあゆみが、ふと俺のほうを振り返った。
「あのさ、恵」
「ん?」
「恵って、緑色のシャツ着てたっけ?」

***

国分寺(山門)

 第十五番札所。
 薬王山(やくおうざん)金色院(こんじきいん)国分寺(こくぶんじ)。
 天平十三年(七四一年)、仏教に篤く帰依した聖武天皇(在位七二四~七四九年)は、国家の安穏や五穀豊穣、文化の向上などを祈って、勅命により全国六十八箇所に国分寺、国分尼寺を創建した。阿波国分寺もその一つである。
 開基は行基菩薩で、聖武天皇から釈迦如来像と『大般若経』が納められ、本堂には光明皇后の位牌厨子を奉祀されたと伝えられている。
 創建当初は法相宗の寺院として、金堂を中心に七重塔も建つ壮大な七堂伽藍が整っていた。弘仁年間(八一〇~八二四年)に弘法大師・空海が巡錫した際に、宗派を真言宗に改めている。
 その後、天正年間(一五七三~一五九二年)、土佐の長宗我部元親率いる軍の兵火――「天正の兵火」によって焼失。長らく荒廃していたが、寛保元年(一七四一年)に徳島藩主蜂須賀家の命により郡奉行速水角五郎が復興にかかり、吼山養師和尚が再建したことから宗派も現在の曹洞宗となった。
 この寺域からは塔の礎石などが発掘されており、徳島県の史跡に指定されている。

国分寺(本堂/塔の礎石・本堂天井・大師堂跡)

 常楽寺から国分寺までは約八〇〇メートル。すぐそこだった。
「国分寺って、ものすごくでっかい寺を想像してたけど、そうでもないんだな」
 納経をすませた後、俺は境内を見渡しながら言った。
 天皇の勅命で建てられたというから、もっと大きい寺を想像していたのだが、意外にこじんまりと、まとまった感じの寺だった。
「昔は二町四方の寺領を誇っていたのだがな」
 たいさんがポヨンと身体を弾ませながら言った。ちなみに、二町四方は約四.七六ヘクタールだ。
「戦火で燃えたんだっけ?」
「うむ。もっとも、ここに限らず国分寺の多くが廃れた理由は他にある」
「と、言うと?」
「維持する金がなくなっただけだ!」
「そんな身も蓋もない」
 仏教による国家鎮護のために、ときの天皇が命じて当時の日本の各国に建立した寺院――国分寺と国分尼寺(こくぶんにじ)は、正式名称をそれぞれ金光明四天王護国之寺(こんこうみょうしてんのうごこくのてら)、国分尼寺が法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)という。
 国分寺の多くは国庁――律令制下における地方行政機関の施設――とともに、その国の最大の建築物だった。しかし、律令体制が弛緩して官――簡単に言えば、国のお偉いさんだ――による財政支持がなくなると、その多くが廃れたという。
 いつの時代も大変だな……。
「そう言えば、少年よ。この寺には大師堂がないのだ」
「そうなん? じゃあ、さっきお詣りした建物って何なん?」
「あれは『烏瑟沙摩明王堂(うすさまみょうおうどう)』なのだ」
「うすさまみょうおう?」
 本来の大師堂は一九九六年に火事で焼失し、まだ再興されていない。それで、烏瑟沙摩明王堂を「仮大師堂」として使っているのだという。
 烏瑟沙摩明王は、古代インド神話において「アグニ」と呼ばれた炎の神で、「烈火で不浄を清浄と化す」力を持つ。心の浄化はもとより、日々の生活のあらゆる不浄を清める功徳があるとされ、特に有名な功徳はトイレの清め――つまり、烏瑟沙摩明王はトイレの神様――なのだそうだ。
「で、本来の大師堂の跡地が、儂らが立っているこの礎だ」
「なるほど」
 何か建物の基礎っぽいものがあるなと思ったら大師堂の跡だったのか。
「それにしても、人が多いと思うのだ」
 たいさんが周りをキョロキョロ見渡す。
 言われてみれば、確かに多い。
 ぞろぞろと目の前を行き交うお遍路さんたち。
「ああ、ツアーの団体さんと重なったみたいだな」
 境内に隣接する駐車場に、大型バスが停まっているのが見えた。
「ふむ。“ばすつあー”と言うものか。いやはや、時代の流れが巡礼の在り方を大きく変えたみたいだな」
 たいさんは目の前を横切るお遍路さんの一行を眺めながら、「つくづく便利な世になったものだ」と、しみじみ呟いた。
「しかし、ここまで参拝者が多いと、八八さんも隠れて出てこないよな」
「うむ、それなのだ。だから娘に、さっさと札の力で人払いをさせようと思ったのだが。肝心の娘が居なくては話しにならん」
「あ、そう言えば……」
 たいさんに言われて、あゆみがいないことに気がついた。
「まったく、少年の次は娘か……。仕方がない、とっとと探し出すぞ」
 そう言うと、たいさんはひょいと礎を飛び降りた。
 俺も後に続く。
「――っと。探すもなにも、すぐ目の前にいるじゃん」

先達さんとお遍路兄さん

 大師堂跡の対面、参道をはさんだ向かいには鐘楼がある。
 そのすぐ側で紺色の笈摺(おいずる)を着た坊さんと、何やら話し込んでいるあゆみの姿があった。
「あゆ――」
 近づいて声を掛けようとしたとき、二人の会話が聞こえてきた。
「お嬢ちゃん、可愛い格好してるねぇ」
「あ、ありがとうございます……」
「その白衣どうしたの? 何かの取材とか?」
「え、えっと、この服は自分で作ったもので……。取材とか、そんなんやないんよ」
「へぇ、そんな格好してるから、てっきりタレントさんかと思ったよ」
「ふええ!? やっ、これは趣味で……」
「そうなんだ。ところで、どっから来たの?」
「え、あの、えっと」
「一人?」
「いや、あ、その」
「まあいいや。よかったら一緒に巡らん?」
「ええええ」
 言い寄る坊さんと、戸惑う遍路少女の図。
 たいさんと俺は顔を見合わせた。
「うむ。あれは“なんぱ”というものだな」
「あ、やっぱそう思う?」
 さて、どうしよう。
 声を掛けるべきか、それとも静観を決め込むか。考えあぐねていると、不意に背後から声がした。
「ジョーの奴、あんなところにいやがった」
「あーあ。また女の子に声かけて。相手が迷惑そうにしてるの、気づいてないのかな」
 そこには、二十代前半と思われる男が二人立っていた。
 一人は、いかにもスポーツマンといった風体の背の高い男。もう一人はそれとは対照的に、華奢な身体つきの眼鏡をかけた男だった。
「ったく。目を離すとすぐあれだ……」
 背の高いほうの男は、無造作に立てた短い髪をわしゃわしゃと掻きながら、吐き捨てるように呟いた。
 そして、俺たちの横を通り抜けて、あゆみと坊さんの方へと歩いて行った。
 その後ろを、眼鏡の男がついていく。それに便乗して、俺とたいさんもあゆみの方へと移動した。
「おーい。そろそろ出るってよ、バス」
 背の高いほうが言った。
「先達のアンタがいないと出発できないでしょうが」
 続いて、眼鏡男が言った。
 それでようやく、坊さんが顔をこっちに向けた。
 そして、こっちを向くやいなや、苦い表情を浮かべる。
「げっ、宏(ひろし)と洸節(こうせつ)……!」
「人の顔を見て『げっ』とか、とんだご挨拶だな、おい。……ほら、洸節も何か言ってやれよ」
 背の高い方――名前は宏と言うようだ――に促されて、洸節と呼ばれたもう一人の男が苦笑する。
「それよりさ、女の子がドン引きしてるの気づこうよ」
 そして、不意に俺の方を振り向いて「それに、ほら。彼氏だって面白くない顔してるでしょう」と笑った。
 そこにいる全員の視線が俺へと集中する。
「あ、恵!」
 俺の姿を見止めて、あゆみが――戸惑いを隠しきれない感じの曖昧な笑顔で――手を振った。
「ちぇっ。なぁんだ。彼氏いるんじゃんか」
「つか、いい加減、見境なしに声を掛けまくるのやめようぜ……」
「本当本当。いい歳のおっさんが、見るからに女子高生っぽい子にちょっかい出すなんて、通報されても文句は言えないよ?」
 冗談交じりに舌を打つ坊さんに、すかさず突っ込む男二人。
「まぁいい、さっさと戻ろうぜ。――ああ、うちの先達が迷惑かけたな」
「ごめんねぇ。ちゃんと言い聞かせておくからね」
 二人組は口々にそう言うと、体格のいい坊さんの身体を両脇から抱え込んで、大型バスが停まっている駐車場の方角へと歩いていった。
「……」
「……」
 俺とあゆみは何も言えないまま、坊さんが引きずられていく様子をただ見ているだけだった。
 そして、その姿が見えなくなったところで、二人して肩の力を抜いた。
「……なんだったんだ? あの坊さん」
「さっきの人は、お坊さんやないんよ。先達さん。名前は村野晋常さんって言うんやって」
 むらのしんじょう。それで「ジョー」か。
「ああっ! 勢いに押し切られて、肝心なこと聞くの忘れとった!」
「?」
 あゆみは「失敗した~」と嘆きながら、頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。
「一体どうしたんだ?」
「…………」
 意味が分からないで首を傾げる俺に、あゆみは何も言わず一冊の本を差し出した。
 あゆみの愛用書『四国八十八箇所霊場ガイド』だ。
「これの何を見ろと?」
「このお寺には、国の名勝の庭園があるって書いてるやろ?」
「どれどれ……」
 ガイド本をめくり国分寺のページを開く。そして境内の見取り図を見た。
 仁王門から入って、突き当りに本堂、その右手に仮大師堂こと烏瑟沙摩明王堂がある。さらにその右手奥に納経所があって、その裏手に件の庭園はある。
「奥まった場所にあるし、文化財にも指定されてる庭やけん、八八さんがいるかもって思ったんやけど」
「ああ、確かに居そうだな」
「本見たら一般には公開してなくて、中に入るには予約が必要とか書いてあったんよ」
 それで、本と睨み合いをしながらどうしようかと独り言を呟いているところに、さっきの先達さんが声を掛けてきたのだという。
「先達さんとここのお寺の人は知り合いみたいで、中に入れるように取り持ってくれるって言ったのに、そのまま引きずられて行っちゃった……」
「なるほど……」
 それは困った。
 現に、目に見える範囲で八八さんが居るかもしれないという場所は見当たらない。ともすれば、やはり庭園を見に行かなくてはならないだろう。
 そこで、たいさんが言った。しれっと。
「そんなもの、こっそり入ればすむ話だろう?」
「人間と動物のお前を同じように考えないでくれ……」
 たいさんなら人の目を盗んで侵入できるかもしれないが、俺とあゆみはそういうわけいにはいかない。可能か不可能かの問題ではなく。
「予約してないけど入れないか、駄目元で頼むしかないだろう」
「うん、恵の言う通りやね」
「あ、待った。さっきの坊さん……じゃない、先達さんが走って来たぞ」
 何やら叫んでいるようだが、遠すぎて聞こえない。
「先達さん、あたしとの約束を思い出して、今から納経所の人に頼んでくれるって言ってる」
「そのようだな。儂らにも納経所のまで来いと言っていたぞ」
 何も聞こえなかった俺の隣で、あゆみとたいさんがそう口にした。二人の聴力が優れているのか。はたまた、俺の耳が悪いのか。
 若干ショックを受けつつ、納経所へと向かった。
 納経所に着く頃――と言っても、俺たちがいた場所から納経所までは一分もかからない距離だ――には、先達さんはお寺の人と話をつけてくれていた。
「おう、お嬢ちゃんたち。庭園の見学、オッケーだってよ」
「! ありがとうございます!!!」
 いとも簡単に見学の許可が下りたことに吃驚だ。
 先達さんの説得のおかげか、それとも――いや、まあ、ここは先達さんの人望の賜物ということにしておこう。
 その先達さんはと言えば、俺たちのお礼の言葉もろくに聞かずに、来た道を全速力で駆け戻っていった。
「あの二人のお兄さんに、早く戻って来いって言われてたのかな?」
「かもな……」

国分寺(庭園)

 かくして、無事に――たいさんが提案したように、こっそり忍び込む真似をすることなく――日本の名勝と呼ばれる庭園に入ることができるようになった俺たち。
 さっそく拝観料を払って入口へと足を運んだ。
 先頭を歩いていたのは俺だったが、庭園に足を踏み入れた瞬間、その動きを止めた。
「わわっ! もう、急に止まらんでよね」
「うお、何事だ!?」
 俺のすぐ後ろを歩いていたあゆみ、そして、その後ろのたいさんが声を上げた。
「…………」
 だが、俺には二人の声が届いていなかった。
 目の前の光景に気を取られて。
「……八八さんで誰か出てこれる人おる? できれば、年上のほう」
「何よ、その呼び方。名前を呼びなさいよね」
 俺の呼びかけに応えたのは長女の淡桜だった。あつらえむきだ。
「淡桜さん淡桜さん、目の前に妹さんだと思われるナニかが見えるんやけど」
「はぁ? それがどうしたのよ。見つかったんなら良かった――」
 ピシッと。淡桜の周りの空気が凍った気がした。
「――な」
 淡桜の口から声が漏れる。
「な、な、なにしてんのよー! きららぁぁぁぁぁ!!?」
 静かな庭園に響く声。
 目の前には、炎と光を身にまとった十五人目の八八さん――煌々(きらら)の姿があった。

国分寺の八八さん・煌々(きらら)

つづく


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