第十六話<観音寺(前編)> ‐改訂版‐

2014年5月 加筆修正(11,000文字)

文章:静夢-SHIZUMU-
企画:OpenDesign


     /7月25日(4日目)

 第十六番札所。
 光耀山(こうようざん)千手院(せんじゅいん)観音寺(かんのんじ)。
 この寺は、天平十三年(七四一年)、聖武天皇が国分寺建立の勅命を出した際、行基に命じ勅願道場として建立されたものだ。
 弘仁七年(八一六年)、弘法大師・空海が巡錫(じゅんしゃく)したとき、本尊として千手観音を彫り、その脇侍に不動明王と毘沙門天の像を刻んで安置し、寺名を「観音寺」に改めたとされる。
 天正年間(一五七三~一五九二年)、長宗我部元親の兵火により焼失したが、万治二年(一六五九年)に阿波藩主、蜂須賀光隆の支援を受けて宥応(ゆうおう)法師が再建し、今に至る。
 大正二年頃、両親に連れられて参拝に訪れた盲目の高松伊之助さんという人物が、本尊のご利益により目が見えるようになった。そして、松葉杖を奉納したという話が語り継がれている。

      ◇

 観音寺の本尊は、「千手観音菩薩(せんじゅかんのんぼさつ)」――その正式な名称は「千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)」――であり、それが持つ千の手と千の眼は、慈悲の広大さと、衆生を救う手段の豊富さを表しているという。
 その千手観音菩薩の“慈悲の御心”を拠り所とする観音寺の「八八さん」もまた、慈悲深い人だった。
 そして、決して仏ではない己の慈心が守ることのできるものは“限られている”ことを知っている人でもあった。


     /0

 空腹感で目が覚めた。
 もぞもぞっと身体を動かして布団から抜け出す。
「…………あっつ」
 蒸し返す暑さの中。布団にくるまって眠っていたせいで、着物は汗を吸い、じっとりと重く肌にまとわりついた。
 額にはりつく前髪が鬱陶しい。
 手櫛で無造作に掻き上げると、着物の乱れもろくに正さないまま格子戸へと向かった。
 格子の隙間から射し込む陽光――角度からして正午をまわった頃……かしら。
 その向こうには、ヒトのざわめく声が聞こえている。
 ふうん。
 今日は随分と賑わってるじゃない。

      ◇

 ここは、四国八十八箇所霊場、第一番札所・霊山寺(りょうぜんじ)。
 私はこのお寺に棲(す)んでいる。
 境内に植えられた「淡墨桜(うすずみざくら)」の苗木を拠り所――本当は依り代って言うほうが私としては好きなんだけど――としている、ヒトとは異なる存在。
 八十八在(い)る姉妹の長女として生を享(う)けて、四国に張られた結界を守護するようにと命を受けた。
 そのとき私は「淡桜(あわざくら)」と名付けられ、今の“私”に成(な)った。
 桜は春を象徴する花。
『はじまりの季節を告げるその花は、一番札所の守り人の名に相応しい』
 私に名をくれたあの人はそんなことを言っていた。
 …………なんて。
 今はそんなの、どーっでもいいしっ!!
 あまりのひもじさに、私は。
 かつての私が“「淡桜」に成った”あの日の――すっかり忘れてしまったと思っていたはずの――あの古い古い記憶を、垣間見ていた。
 こういうのを「走馬灯現象」って言うんだっけ?
 ヒトは死に直面したとき、一生の記憶を一瞬のうちに見ることがあるという――それを「走馬灯のように記憶が駆け巡った」みたいな比喩で語られるのを聞くたびに。
 はたして、今を生きるヒトのどれくらいが、走馬灯の“実物”を知っているのかしら。と、考えてしまう。
 知らない何かで喩(たと)えるより、もっと身近なもの――例えば、そうね。床屋さんの回転灯なんてどうかしら? ちょっと昭和っぽい気がするのは否めないけど――を引き合いに出したほうが、よっぽどイメージしやすいと思うのよね。
 それとも「走馬灯」って物の名前が、現象そのものを意味する言葉に取って代わって、ヒトは何の疑問もなくそれを口にしているのかしら。
 夏の夜を彩る走馬灯。
 くるくる回る影絵のように。
 言葉はくるりくるりとカタチを変える。
 例えば「初老」という言葉。
 それは中年を過ぎて老年に入りかけた年頃のことで、四十歳の異称。
 だけど、四十代の誰かをつかまえて「あんたって初老よね?」なんて聞いたら、きっとその相手は良い顔をしないでしょうね。
 むしろ、怒りだすんじゃないかしら。
 聞き方が悪いとか、つまんないツッコミはやめて頂戴。
 兎に角。
 四十代を指すその言葉は、今では五十代とか六十代を意味する言葉になりつつある。
 辞書的な意味ではなく、ヒトの感性的なところで。
 そんな風に言葉は刻々と変化する。
 その時代に合わせて。
 使うヒトに合わせて。
 新しい言葉はいつの時代にも生まれてくるし、同じはずの言葉でもその使い方――その意味が変わってしまうことがある。
 使われなくなった言葉は「死語」なんて気の毒な呼び名をつけられたりして、いずれは忘れ去られる運命。
 もっとも、忘れ去られるのは言葉だけじゃない。
 何だってそうよね。
 生まれては、カタチを変え、やがては消えていく。
 何がどう変わっても、その行く末だけは変わらない。
 それは、ヒトだって同じでしょ?
 変わりながら生きていく。
 流れる時間の中で。
 移ろう季節の中で。
 めまぐるしく変化する時代に取り残されないように、誰かや何かと関わりながら。
 生きて、活かされ、異化されて。
 生かされながら、生きて逝く。
 それは、かつて、あの人がヒトに伝えようとしたこと。
 その奥深くにある「空」というナニカ。
 ヒトだった私は、「淡桜」と成った今でも、そのナニカに辿り着けないでいる。
 正直、辿り着ける自信はない。
 だけど、それでもいいと思う。
 ただ、せめて。
 私は。
 あの人が与えてくれた名のように。
 咲いてはつと散る、桜のように。
 儚くとも、潔く。
 新しい季節の訪れを報せるその花は、同時に諸行無常の象徴でもあるのだから。
 いずれは朽ちる枝木だと識(し)っても。
 私はそれを惜しまない。
 今、生きていることを、惜しんだりはしない。

      ◇

 ――ぐぅうううぅぅ

 お腹の虫が鳴った。
「…………」
 惜しむ気はないんだけど。
 まして、諦める気なんてさらさらないんだけど。
 だけど。
 このままじゃ、ちょっと、まずいわね。
 さっきから空腹を訴えてやまない身体。
 眠りから覚めて、徐々にはっきりとしてきた頭の片隅に。
 『餓死』と書かれた旗がちらりちらり。
 だからといって。
「この程度で、生きることを諦めるなんてないわ」
 と、誰に言うでもなく、私は言った。
 空元気でも元気は元気。
 寝床にしていたお堂から這い出るように、格子戸の向こう側へ――ヒトのざわめく声が聞こえる外へと出て行った。
 そこは、煌(きら)めく光に包まれた世界だった。
 燦々(さんさん)と降り注ぐ太陽の光。
 広がる青空、湧き立つ雲。
 ヒトで賑わい、活気づいた境内。
 夏、本番! ――って、ちょっと待ったああ!!
 境内に夏祭り開催のポスターを見つけて愕然とした。
 何? なんで? ウソでしょ!?
 そんなことってある!?
 まさか、寝て起きたら半年も過ぎてたなんて!!
 桜の開花を楽しみに待ってたのに! 待ってたのに! 待ってたのに!!!!
 しかも。
 目が覚めたのは、よりにもよって大っ嫌いな夏。
 もうやめて! 私のライフはとっくにゼロよ!
 嗚呼……、いっそ次の春まで寝てしまおうかしら。
 そう思った瞬間、ぐうっとお腹の虫が鳴いた。
「…………」
 眠ってしまうのは……ナシね。
 きっと、起きられなくなっちゃう。
 それは嫌だわ。
 どうするか考えないと。
 そう思ったところで、ようやく冷静になれた気がした。
 さっきはあまりの衝撃で、つい我を失ってしまったけど。
 あんな姿、妹の前では見せられないわね……。
 はぁ。
 大きく息を吐いて、その場に座り込んだ。
 そこは参道の真ん中。私の前を、後ろを。背中に「南無大師遍照金剛」と書かれた白衣(びゃくえ)を着たヒトたちが、歩いてきては通り過ぎる。
 道をさえぎる私を誰も気にとめる様子はない。
 それも当然。
 私の姿はヒトには見えないのだから。
 それでも、行き交うヒトの多くは――まるで私がそこに在ると気づいているように――道の端を歩いていく。
 案外、意識してくれてるのかしらね。
 道の真ん中は、仏さまや、あの人や、私たちの通り道だってこと。
 そう思うと、嬉しい気持ちになった。
 あ。ほんの少しだけ、ね。
 って言うか、端を歩くのがそもそもの参拝マナーってやつだし。
 だから、ズカズカと中央を通り過ぎる輩を見かけたときは、
「ふーん。あんた、いい度胸してんじゃない。一体、何様のつもりなのかしら?」
 って詰(なじ)りたくなるんだけど。
 それにしても。
 私は立ち上がって境内をぐるっと見渡した。
 本当、ヒトが多いわね。
 今日はたまたま賑わってるってわけではなくて、時節柄、そうなんだと気がついた。
 もっとも、参拝するヒトが一番多いのは春と秋だけど。
 それと、三月二十一日の前後ね。
 とは言え、夏は夏で、若い「お遍路さん」が増える分、お寺が賑やかになる。
 賑わいは私たちの活力。
 お寺を拠り所とする私たちは、そのお寺の“栄枯盛衰”に感化される。
 つまり、お寺がそこに在る限り、私たちは存在していられて、そのお寺に訪れるヒトが多いほど活力を得られるってわけ。
 私は暫くの間、行き交うヒトの波間に身を置いていた。
 こうしていると、ちょっとは空腹感が和らぐから。
 少しずつ。
 本当に少しずつだけど。
 満たされていくのを感じながら、私は考えた。
 私の――私たちの在り方。
 ただ存在するだけならお寺――その根源にある霊地の力――さえあれば十分で、たまにヒトの「信仰心」を感じられれば、それだけで充分、生きていける。
 だけど、結界を守るにはそれじゃ全然足りなくて。
 結界を保つって、そこそこ重労働なのよ。
 だから、私たちは定期的にあの人から力をもらっている。
 いつもなら二ヶ月に一度。
 なのに。
 半年間、それがない。
 今感じている空腹感はそのせいね。
 ふと、不安がよぎった。
 私はさっきまで眠っていたおかげで多少の余力があるけど。
 妹たちは大丈夫なのかしら。
「あのハゲ、どこをほっつき歩いているのよ」
 このままじゃ、私たちが守ってきたものが消えてしまうじゃないの。
 そしたら――……そしたら?
 不意に、視線を感じた。
 ヒトの波間からこっちを見ている誰か。
 まさか、私の姿が視えてる?
 私は咄嗟に逃げ出した。
 あろうことか、そいつは私を追いかけて、近くにやってきて、私を見て――視据えて、
「君が、『八八さん』?」
 と、言った。
 それが、“二人”との出逢い。
 普通のヒトには見えないモノが視える「幸野恵(こうのけい)」という男の子。
 結界についての知識を持ち、お札の不思議な力を操る「あゆみ」という女の子。
 二人は結界の異変に気がついて――って、なんですって!? 私が居眠りしてる間に、その徴(しるし)が顕れていたなんて!! ――それを修復するために、結界の守り人である私に逢いに来たのだと説明してくれた。
 それを聞いた私は、内心取り乱していた。
 でも、冷静を装って静かに「…………そう」と答えた。
 そう言えば「八八さん」なんて呼ばれてたときもあったわね。久しく聞いていなかったその呼称が気恥ずかしくも懐かしい。
 ただ、残念だけど。
 すでに結界に異変が起きているのなら、もう手遅れだわ。少なくとも、私なんかにどうこうできる問題じゃない。
 でも、そんなことは言わない。
「私たち姉妹――八十八人全員と逢って、その全員と縁を結びなさい」
 私は、そう提言した。
「そうすれば、大丈夫だから」
 私は、そう宣言した。
 私一人じゃどうすることもできないけれど、姉妹全員が集えば何とかなるんじゃないかという希望的観測と。
 たとえ、何とかならなくても。
 二人が四国を巡る途中であの人を見つけてくれたら、それこそどんな問題も、あの人が万事解決してくれるはず――なんて、そんな楽観的で他力本願な思惑から出た言葉だったけど。
 事実、私の台詞は虚勢以外の何でもなかった。
 だけど、ヒトにそれを気取らせない。
 守り人――八十八人姉妹の長女を名乗る私の、自尊心(プライド)がそれを許さない。
 だから。
 全てを見透かしたように、私は振る舞う。
 長女は常に聡く、偉そうであれ――なんて、誰が言ったのかしらね。

      ◇

 ……と言うのが、三日前の出来事。
 結界の力を取り戻すために八十八箇所のお寺を巡る二人――彼らと縁を結んだことで、私たち姉妹は“縁伝い”にお寺の間を行き来できるようになった。
 折角だから、と。
 私たちは二人について四国を巡ることにした。
 だって、自分の棲むお寺以外の場所に行けるなんてこと、滅多にないんだし。
 後になって思えば。
 あのときの私たちには、危機感ってものがなさすぎた。
 私も、妹たちも――常に空腹ではあったけど――なまじ動くことができたから。
 だから、あの人が“半年も私たちの前に姿を現していない”という“事の重大さ”にも気づくことができなかった。
 本当――愚か。
 それ以上に、私は。
 浮かれてたんだと思う。
 久方ぶりの妹たちとの再会に。
 そして、……ううん。これは口に出さないほうがよさそうね。
 今は、まだ。


     /1

 私は今、第十五番札所・国分寺(こくぶんじ)にいる。
 ここは十五女の煌々(きらら)が棲むお寺。
 本堂の屋根を見上げながら、私はにんまりと笑った。
 さぁて。
 魔法少女を夢見る妹は、一体何をして過ごしているのかしら。

      ◇

「淡桜さん、淡桜さん」
 国分寺の本堂裏、我が国の名勝地に指定される庭園に入るやいなや、幸野恵が私の名前を呼んだ。
「目の前に妹さんだと思われる“ナニカ”が見えるんやけど」
「はぁ? それがどうしたのよ」
 妹を探しに来て見つかったんなら、それは良かったじゃない。そんなの、わざわざ報告してくれなくてもいいんだけど。
 と言うか。人の妹を“ナニカ”呼ばわりとはとんだご挨拶ね。
 眉をひそめた私に気づかない無神恵さん――無神「経」と、幸野「恵」をかけてるのね――は、ほらっと庭園の中を指差した。
「ほらって言われても、あんたがそこに立ってたら見えるわけないでしょうが」
 同じ年頃の男の子と比べると、おそらく背は低いほうなのだろうけど、八十八人姉妹の中でもとくに小柄な私からすれば、頭二つ分くらいの身長差があるわけで。
 そんなのが立ちはだかっていては、中を覗こうにも覗けない。
 私は幸野恵の肩に手を置いて、身体を浮かせた。
 こんなとき重力に縛られないこの身体は便利だと思う。
 ふわっと、幸野恵の目線よりも高いところまで浮かんで、庭園の中を――
「――な」
 声が詰まった。
 庭園の奥。本堂西側に組まれた高さ四、五メートルはありそうな立石の上に、炎と光をまとった妹の姿があった。
「な、な、何してんのよー! きららああああああ!!!?」
「もう、大声なんか出して。うるさいぞ、お姉さま☆」
 くるくると巻いた毛先を揺らしながら、十五番目の妹、煌々は私の傍まで飛んできた。
 庭園の端から端までひとっ跳び。
『煌々は魔法少女になりたがっているらしい』
 一年か二年ほど前の話。
 私たち姉妹の間でそんな噂が流行ったことがあったけど。
 さっき宙を駆けた煌々の姿は、さながら魔法少女のそれ――俗世の流行に明るい私ではなくとも、多少の知識はあるのよ――に見えた。
 白を基調とした、赤と黄の華やかな衣装。胸元のリボンが、尚更それっぽく見せている――って、んん?
「煌々。その着物、どうしたのよ」
「あは。気づいてくれた?」
「この前の『姉妹会』のときは、そんな格好じゃなかったと思うけど?」
 私たちは「女子会」ならぬ「姉妹会」と称して、一年に一度、集まって一緒に遊んだりしている。
 前回は師走――正月準備にお坊さんたちも忙(せわ)しく走る十二月――だっけ。
 そのときの煌々は、もう少し飾り気のない格好をしていたような……。
 私が着物のことを口にすると、煌々は嬉しそうに微笑んだ。
「えへへー。実はね、お父さまにお願いして作ってもらったの☆」
「は!? あんた、何、そんなつまんないことであの人の手を煩わせてんのよ!」
「ひどぉい。つまんないことなくないもん」
「つまんないことなくないなんてないでしょ!」
「つまんないことなくないなんてなくないもん!!」
 何を言っているのかわからなくなった。
「……ちょっと。何、笑ってるのよ」
 私と煌々のやり取りを見ていた幸野恵――私たちから目を逸らすように、若干うつむき加減なその身体――の肩が小刻みに揺れていた。笑い出したいのを我慢している感じ。
 笑いたきゃ笑えばいいのに。どうせバレバレなんだから。
 ……ん?
 そこで、ふと違和感を覚えた。
 何だろう。
 何かが――違う?
「おーい、淡桜さーん?」
 その声に、はっとなる。
「な、何よ」
「それは俺の台詞。人の顔を睨みつけたまま、意識だけどっかやるんやめてや」
「ふ、ふん。そんなの、私の勝手でしょ!?」
 我ながら、すごい切り返しだと思った。
 その言葉に、幸野恵は曖昧な笑みを浮かべた。
 返答に困っている四割、ただ呆れている六割――そんなところ。
 あ……うん、やっぱり、違和感がある。気がする。
 幸野恵。
 こいつって、こんなだっけ……?
「お姉さま、また何か考え事を始めたみたいだよ?」
「みたいだな」
「今日のお姉さま、何か変」
「いや、変なんはいつものこ……」
「しっ! 誰だか知らないけど、君。それは、しっ!」
「あ、ハイ」
「たとえ本当のことでも、言っていいことと悪いことがあるんだよ」
 ヒソヒソと。
 声をひそめる二人。聞こえてるっての。
 睨みつけると、一瞬にして黙った。
「……ったく。まあいいわ。話を戻すけど」
 コホンと咳払いをして、煌々のほうへ向きなおった。
「煌々。今回は許してあげるけど、くだらないことで、あの人を頼るのはやめなさい」
「つまんないことでもくだらないことでもないのに……それに、お父さまだってノリノリだったんだよ?」
「それでも!」
 あっそう。ノリノリだったんだ、あのハゲ……。
「むー」
「ふくれっ面しても、駄目なものは駄目なの」
 納得できない様子の妹。着物の裾をギュッと掴んで、私を見下ろして――上目づかいに私を見て、なら可愛いのに! 悲しいかな、私の身長ではなかなかその構図にならないのよねっ!――いたけれど、最後には「はぁい」と頷いた。
 怒られて(別に怒ったつもりはないんだけど)、肩を落としていた煌々だったが、何かを思い出したように、不意にクスッと笑った。
「どうしたのよ。思い出し笑いなんて気持ち悪い」
「ううん、思い出したんじゃなくって」
 煌々は私の顔を見て、なおさら可笑しそうにクスクス笑った。
「何よ……」
「お姉さまって、お父さまのことを『あの人』とか、ひどいときには『あのハゲ』なんて呼んでるけど。でも、お父さまのことを一番大事に想ってるのは、やっぱりお姉さまなんだなって思って」
「は? はあ? 別にどうでもいいわよ、あんなの!」
「あんなの、とか言っちゃダメ」
 妹に叱られた。
「でも、お父さまに迷惑をかけるなって言うのは、そういうことなんでしょ」
「そ、そういうことがどういうことか、説明してほしいわね」
「ふふ。照れなくてもいいのに。流石、お姉さまって言ってるだけだよ?」
「照れてなんかないっ!」
「またまた~。お姉さまの口の悪さは、愛情の裏返しってこと、煌々にはお見通しなんだから☆」
「――――っ」
 この妹、扱いづらい!
 私は、咄嗟に返す言葉が見つからず声を詰まらせた。
 何も言えなかったのは、煌々の言葉が図星をついていたから――いえ、少なからず自覚していることだったからで。
「……そんなことより、煌々」
 苦し紛れに話題を変える。
「その手に持ってるもの。鉾(ほこ)みたいな、その杖は何よ」
「ん? あ、これ?」
 あからさまな話題転換だったけど、煌々は別段気にした風もなく話を合わせてくれた。
「えっと、魔法少女、だっけ? ――の真似をするための飾りにしちゃ、随分、仰々しいというか……」
「すごーい。お姉さま、わかるんだ!」
 煌々は、何だか誇らしげに、その手にしている杖を振りかざした。
 三つ又の穂先が、陽光に煌めく。
「これはね、烏瑟沙摩(うすさま)明王さまからお借りした魔法ステッキ(仮)なの☆」
「……ふうん」
 烏瑟沙摩明王――この明王さまは、異国・古代インドの炎の神さまで、「この世の一切の穢れを焼き尽くす」力を持つ。
「そうだ!」
 煌々がポンッと手を打った。
 どうしてかしら、とてもイヤな予感がするんだけど。
「お姉さまには特別に、煌々の魔法を魅(み)せてあげる!」
「……は?」
「この烏瑟沙摩明王さまからお借りした魔法ステッキ(仮)を使うのは初めてだけど――さっき、立石の上で練習しようとしてたら邪魔されちゃったし――でも、大丈夫。上手くやってみせるから、安心して見ててね」
 キィィイン
 何やらそれっぽい効果音を響かせて。
 烏瑟沙摩明王さまから以下略に、青白い炎が――――
「それじゃあ、いっくよー☆」
「――ちょ!?」
 いっくよー☆ ――じゃないでしょーが!! 国の名勝を灰にする気!!!?
 全力で止めに入ったのは言うまでもない。


     /2

「ったく、あのバカ」
「あのとき淡桜さんが煌々さんを止めんかったら、大変なことになっとったよね……」
「まあ、どうなるか見てみたかったって気もしなくはないんだが」
「あんたね、妹の罪は姉の罪。償わなくちゃならない私の立場ってものを考えなさい」
 わいわいと。
 国分寺を出発して、次の目的地である観音寺までの道を、私は幸野恵とあゆみの二人と喋りながら歩いた。
 妹たちはみんな、各々のお寺でお休み中。
 私も本当は帰って休みたかったのだけど。
 ただ、ちょっと確かめたいことがあって、こうして二人と一緒に歩いてるってわけ。
「ねえ、淡桜さん。観音寺の『八八さん』ってどんな人なん?」
 話のネタが尽きてきたころ、あゆみが私にそう聞いてきた。
「んー、そうね……」
 観音寺に棲む十六女を思い浮かべた。
 ……あ。
 私は、そこそこ大事な“あること”を思い出した。
「……あんたたちじゃ無理かも」
「え?」
「どういう意味だ?」
 ぽかんとする二人。
 あ、うん。当然の反応よね。
 明らかに言葉が足りてなかったし。思わず口走ってしまったけど、本当はちゃんと説明するつもりだったんだから。
 ……本当よ?
 別に面倒くさくていろいろ端折ったわけじゃないんだからね!
 と、言うわけで、私は取ってつけたように説明を加えた。
「観音寺に棲むあの子は、ちょっと特別って言うか。他の姉妹と少し性質が違ってて」
「性質? 八八さんにも違いがあるん?」
「ええ、何を拠り所にしてるかってことと関係あるんだけど、あの子は中でも特殊なものを――って、この説明、要る?」
 途中まで言いかけて、面ど――じゃない、とくに必要ないと思った私は、一方的に説明をやめた。
 それに、ほら。
 道の先にお寺の屋根が見えてきたことだし、さっさと結論だけ言ってあげたほうがいいに決まってる。という、自己弁護。
「――つまり」
 何がつまりなのかは気にしちゃいけない。
「あの子は、あんたたちヒトには立ち入れない場所にいるってこと!」
 ビシィと言い切った。
「えっと。それじゃあ、あたしたちは観音寺の『八八さん』には逢えんってことなん?」
 結局いろいろ端折った説明に、あゆみは戸惑いながらも理解したようで、困ったように顔を曇らせる。
 一方、幸野恵はというと。
「その口振りだと、俺たちには無理でも、ヒト以外――例えば、『八八さん』なら入れるって言ってるのと同じだと思うんだが」
 さらりと、そう口にした。
 うーん。やっぱりこいつは気づいちゃうか。
 まあ、わざとにそんな言い方をしたんだけど。
「……ま、そういうことよ」
 私たちのほうからヒトに関わっていくことは、本来、禁じられていることで。
 長女の私が、妹を“紹介する”なんてことはあってはならない。
 だから、率先して協力するわけにはいかないんだけど。
 でも二人には八十八人全員と縁を結んでもらわないと、私たちも困る。
 そう考えた挙句、私は。
「気乗りはしないけど、あんたたちがどうしてもって言うなら、代わりに妹を探して連れてきてあげてもかまわないわよ?」
 なんて、尊大な口のきき方で、二人に提案したのだった。

      ◇

 遍路道に面した観音寺の山門は、和様重層の鐘楼門で堂々とした風格を漂わせていた。
 その門を入ってすぐ、私は幸野恵とあゆみの二人に告げる。
「それじゃ、私は妹を探してくるから。あんたたちは先に納経をすませて、本堂の近くで待ってなさい」
「うん。淡桜さん、よろしくね」
 そう言って本堂へと向かう二人を見送って――見送ろうとして。
 その背中を呼び止めた。
 何? と二人が振り返る。
「さっきも言ったけど、私がこんなかたちで協力するのは今回だけなんだからね」
「大丈夫、わかっとるけん!」
 あゆみが頷く。その後ろで幸野恵も首を縦に振った。
「それに、例の『約束』。あれは絶対に、忘れないで頂戴」
 さて、念を押したところで。
 私も行きますか。


     /3

「おっそい」
 本堂前で待つこと三十分。
 まさか、私のほうが待たされるとは思っていなかった。
 三十分よ、三十分。
「まったく、どこで油を売って」
 思わず、愚痴が口からこぼれそうになったところで。
 トン。
 と、背中を突かれた。
「……はいはい。不平不満を口にするなって言うんでしょ。分かってるわよ」
 私はうんざりしながら、背後の影に向かって言った。
 背中に感じる威圧的な空気――振り返って直に姿を見なくとも、それがどんな状態なのか分かる。
 まさに激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリームね。
「あのさ。いい加減、機嫌直したらどうなの?」
 と、私は言った。
 だけど、返事がない。
 返事がないので、重ねて言った。
「さっきから何回も謝ってるじゃない」
「何回も、ではございません。二回です。たったの」
 今度は返事が返ってきた。
 けど、全然嬉しくはなかった。
「…………」
「…………」
 重苦しい沈黙が流れる。
 ああ、もう。
 あの二人、いつまで待たせる気よ!
 そのとき。
「淡桜さーん!」
 遠くのほうで声がした。
「ごめーん、納経所が混んどったんよー」
 謝りながらあゆみが走ってくる。
 その後ろには、幸野恵と(すっかり存在を忘れていた)タヌキの姿。
「本当にごめんやけんっ!」
 あゆみは私の前まで駆けてきて、申し訳なさそうに頭を下げた。
「遅――」
 トン。
 と、また背中を突かれた。
「…………」
 はいはい。言いたいことは分かってますよーだ。
 私はすぐそこまで出かかった言葉を飲み込むと、
「あー、その……。別に、気にしてくれなくてもいいわよ。たいした時間でもないし」
 と言い直して、笑ってみせた。にこっ。
 瞬間、あゆみは息をのんで、信じられないモノを見るような目で私を凝視した。
「……その笑顔、何気に怖いんやけど」
 あゆみの後ろで、ボソッと呟く幸野恵。
「てか、いつもなら開口一番、文句の一つや二つ、飛んでくるのに」
 幸野恵は訝そうな顔で私を見ながら、実に失礼なことをのたまっていらっしゃる。
 ええ、ええ。いつもなら、文句の一つや二つ――いえ、そんなもんじゃすまない程度の罵声を浴びせるでしょうね。
 でも今は。
 後ろに“これ”がいるから。
 私は自分の背後に視線をやって。
「……とりあえず、紹介するわね。私の後ろに立ってるのが――」
「十六女、観音(かのん)ですわ」
 私の言葉を引き継ぐかたちで、十六番目の妹――観音は、その名を名乗った。
 金糸の衣に、長く艶のある黒髪が映える。
 観音寺のご本尊、千手観音菩薩さまの“慈悲の御心”を拠り所とするその姿は、金色の光に包まれて、気高く、そして、神々しい。
「さあ、御姉様」
 観音はにっこりと微笑んで――笑顔が怖いという形容は私なんかじゃなくて、この妹のほうにこそ相応しいと思うのよね――静かに言った。
「どういうことなのか、説明していただきましょうか」

つづく


Copyright © Oh! My ring. All Rights Reserved.

イラスト・写真・文章の無断転載を禁じます。