第十七話<井戸寺>
2014年8月 初稿(12,330文字)
文章:静夢-SHIZUMU-
企画:OpenDesign
/7月25日(4日目)
第十七番札所。
瑠璃山(るりざん)真福院(しんぷくいん)井戸寺(いどじ)。
寺伝によると、この寺は天武天皇が六七三年に勅願道場として建立したもので、当時の寺名は「妙照寺(みょうしょうじ)」だった。
弘仁六年(八一五年)に弘法大師・空海が巡錫(じゅんしゃく)したとき、その土地に住む人々が水不足や濁り水に悩んでいることを知り自らの錫杖で井戸を掘ったところ、一夜にして清水が湧き出たという。
そこで、この地を「井戸村」と呼び、寺名も「井戸寺」と改めたそうだ。
貞治元年(一三六二年)、細川頼之の兵火――白峰合戦(細川清氏の反乱)で堂宇を焼失し、後に頼之の弟・細川詮春(あきはる)によって再建されたが、天正十年(一五八二年)に十河存保(そごうまさやす)と長宗我部元親の戦い――第一次十河城の戦いにより再び堂宇を焼失した。
慶長年間(一五九六~一六一五年)に徳島藩主・蜂須賀氏によって再興が着手され、万治四年(一六六一年)にようやく本堂が再建された。その後、昭和四十三年、失火によりまたも本堂を焼失するが、三年後に再建され現在に至る。
本尊は「七仏薬師如来」で、その坐像は聖徳太子の作であり、脇仏の日光・月光菩薩像は行基菩薩の彫造と伝えられている。
七仏薬師如来は全国でも珍しく、七難即滅、七福即生などの開運に信仰が多いという。
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納経をすませ、新たに朱印が一つ増えた納経帳を鞄にしまいながら、俺はあゆみの姿を探した。
ここは第十七番札所・井戸寺。
観音寺(かんのんじ)から約三キロ、およそ一時間弱歩いたところの農村地――かつて阿波国の中心地付近だったこの地も、今ではその面影はなく落ち着いた雰囲気を漂わせている――にある井戸寺の山門は、寺というより武家屋敷のような印象を受けた。
すっかり解説役が板についたタヌキのたいさん曰く、この井戸寺の門は徳島十代藩主・蜂須賀重喜(はちすかしげよし)が大谷別邸の長屋門を移築したもので、俺の感覚は間違いではなかったらしい。
そして、その門の左右には四国一の大草鞋が飾られてあるそうだが、それはさておき、井戸寺の境内。
ちょうど中央に位置する場所に「日限(ひかぎり)大師堂」という堂があり、その出入口の真ん前にあゆみは立っていた。
フリルで飾られた白衣(びゃくえ)はよく目立つ。
通りすがりのお遍路さんが決まって二度見していくものだから、彼らの視線をたどれば容易に見つけられるという、なんとも迷子防止にはもってこいの格好だった。
もっとも、ただ目立つだけならいいが悪目立ちをしているんじゃないかと、そんな懸念をいまだ拭い去れないでいるわけだが、それもまたさておくとして、俺はその遍路少女に声をかけた。
「そんなとこに突っ立って、どうかしたん?」
「あ――うん……」
浮かない顔のあゆみ。その手には『四国八十八結界』と題された紺色の古びた本が握られていた。
彼女が見ていたのは四国の地図が描かれたページだった。
筆でざっくりと線引きされた地図の上に、八十八箇所の札所を表す点――その何個かは輝きを宿し、それらを結ぶように薄らと光の筋が走る。
光は“結縁(けちえん)”の証。
それはまた、俺達がどこの寺を訪れ、「八八さん」と呼ばれる八十八人の守り人の誰と出逢い、誰との縁を得たのかという記録でもあった。
「今までの『八八さん』ってみんな協力的やったし、拍子抜けするほど簡単に縁が結ばれていったけん……このまま何の問題もなく八十八人みんなと“縁結び”ができると思っとったんよね」
あゆみは古文書に視線を落として深く息を吐いた。
ここは十七番目の札所で、ここに来るまでに出逢った「八八さん」は十六人――だから地図に宿る光は十六個。
……の、はずだった。
だが。
今、地図上に輝く光点は十五個しかない。
一つ前の札所――観音(かのん)という名の「八八さん」が棲む観音寺――を示す点が黒いまま残されていた。
「やっぱり難しいんやね。縁を結ぶって」
寂しそうに呟いたあゆみの手から、俺は古文書を取り上げてページを閉じた。
あゆみが驚いて顔を上げる。
そのハトが豆鉄砲を食らったような顔がおかしくて俺は軽く笑った。
「今までが上手くいきすぎたってだけやろ」
そう言って、古文書をあゆみへと返す。
「つか、ここに来るまでは自信ありげな感じやったのに」
「あ、あれは、観音さんの前やったけん……!」
あゆみは本を握りしめてごにょごにょと言葉を濁した。どうやら意地になっていただけらしい。
「……本当は不安なんよ。もし、観音さんとこのまま縁が結べんかったらどうしたらいいんかな」
不安そうな――あるいは今にも泣き出してしまいそうな表情の女の子を前に、ぽりぽりと頭を掻く俺。
「んー、とりあえず観音さんのことは一旦保留でいいんじゃね?」
「そんないい加減な」
「だってさ、あの人も『絶対に協力しない』って言うたわけじゃないんやし。立江寺(たつえじ)だっけ? 十九番札所。そこにいる誰かが抱えた問題を解決することができたら協力するって約束してくれてんだしさ」
だから今は、ここ――井戸寺の「八八さん」を探して、その彼女と上手く縁を結ぶことを考えたほうが建設的だろう。
その言葉にあゆみが目を丸くする。
「え、どしたん!? 恵が柄にもなく前向きなこと言いよる……!」
「お前、いつもどんな目で俺を見てんだよ」
俺は思わず苦笑した。
◇
「――意味、わかんない」
吐き捨てるように言って、小さな長女は俺達の前から姿を消した。
観音寺の本堂裏。
その場に立ち尽くす俺、あゆみ、たいさん、五女・蔵杏羅(くあら)さん――そして、おそらくこの状況を作り出した一番の要員だろう十六女・観音さん。
「御姉様、お話の途中でしたのに……」
困った御方ですね。と、観音さんは姉が消えた場所を見つめながら肩をすくめた。
彼女の表情は常に微笑んでいる風で、そこから感情を読み取るのは難しい。俺には彼女が今何を考えているのかまったくわからなかった。
そんな彼女に蔵杏羅さんが言う。
「うーん。今のは観音ちゃんの言い方がマズかったかな」
「わたくしの言い方が、ですか?」
「うん。あのね、観音ちゃんは淡桜(あわざくら)ちゃんのことになると周りが見えなくなっちゃうから」
そう言って、俺とあゆみのほうへ視線を送った。
「わたし達姉妹にそれぞれ個性があるように、恵クンもあゆみちゃんも個々の存在なんだよ? なのに『ヒト』って一括りにして言っちゃダメかな。淡桜ちゃんはきっと、そんな観音ちゃんの言い方が気に入らなかったんだと思うよ」
蔵杏羅さんにしては珍しく、少し厳しい口調だった。
姉にたしなめられて十六番の妹は微かに眉を寄せた。
「あ、いや……、別に気にしてないって言うか。それより『八八さん』には『八八さん』のルールがあるのに、それを蔑にした俺らが悪いし」
重苦しい空気に耐え切れず、ふと口をついた言葉に蔵杏羅さんは破顔する。
「ありがと。そう言ってくれると嬉しいかな」
元から煌びやかな容貌の蔵杏羅さんだが、笑うと一層その華やかさが増す。その笑顔に場の雰囲気がほんの少し和らいだ気がした。
「でもね、恵クン達は何も悪くないよ。結界を守るためには仕方のないこと――ううん、むしろ当然のことをしただけだもん。だけど観音ちゃんが言ったことも間違いじゃないの。だから、責めないであげてほしいかな」
「うん……そうやね」
あゆみも頷いた。
「それじゃ、みんな。このまま突っ立てても時間がもったいないだけだよ。次のお寺に移動しなきゃ! ね? 早くいつもの“アレ”しようよ。あゆみちゃん、観音ちゃんにお札を渡してあげてほしいかな!」
いつもの“アレ”とは“縁結び”のことだ。
結界の守り人である「八八さん」に直筆で名入りの札を書いてもらい、それを古文書に括っていく――そうすることで縁を目に視える形として残すとともに、その繋がりを強めることができるのだという。
蔵杏羅さんにまくし立てられて、あゆみは真っ新な札を取り出した。
だけどその顔はどこか雲って見えて、俺は何となく嫌な予感がしたのだが、声をかける前にあゆみはさっさと観音さんのほうへ行ってしまった。
札を持った手が差し出される。
それを見て俺は肩の力を抜いた。ふと感じた胸騒ぎはきっと気のせいだったのだろう。
そう思った矢先、不意にその手が下ろされた。
札が相手に渡るよりも先に。
「?」
俺は蔵杏羅さんと顔を見合わせた。
「あやつらは何をしておるのだ?」
と、たいさんも首を傾げている。
暫く静観していた俺だが、流石に気になってあゆみに声をかけた。
すると、小さな声で返事があった。
「ごめん」
と。
背を向けたあゆみが、どんな顔をしているのかわからない。
その肩越しに見える観音さんも相変わらずの表情で(ある意味、無表情だと言える)、傍(はた)から様子をうかがう俺達に二人の心境など知る由もなかった。
「ごめんやけど」
あゆみは同じ言葉を繰り返した。
そして、
「あたし、観音さんとは縁を結べれん」
と、言った。
「……………………」
場が凍りつくとはこういう状況を言うのだろう。
冷ややかで暗鬱(あんうつ)とした沈黙がおりる。何か言わなければと思う。でも、何を言えばいい?
「……えーっと?」
やっとのことで声になった言葉は、我ながら間が抜けていた。
くすり。
と、誰かが嗤(わら)う。
自分が冷笑を買ったのだと思った。たが、そうではなかった。
「それで構いません」
言ったのは観音さんだった。
「貴女がその手を下ろさなければ、わたくしのほうから『受け取れない』と申し上げなければならないところでした」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと! ちょっとちょっと! あゆみちゃん! 観音ちゃん! 二人とも、何を言っちゃってるのかなっ!?」
一拍遅れて、蔵杏羅さんが二人の間に割って入った。
「ごめん、蔵杏羅さん。でも、今の状態で“縁結び”なんかできんと思う」
「ええ。わたくしも、そう思います」
そのとき、
「あはははははははは!」
豪快な笑い声が響いた。
その場にいた四人と一匹は、一斉に声のする方向――本堂の屋根を見上げた。
「あはは。すっげー揉めに揉めてンじゃん!」
頭上で緋色の人影が踏ん反り返っていた。
「焼山寺山(しょうさんじやま)から遥々(はるばる)、アラタ様が来てやったゼ!」
十二番札所・焼山寺に棲む十二女・灼(あらた)――彼女は自らそう名乗ると、瓦屋根を蹴って俺の足元に着地した。その衝撃で、側にいたたいさんが吹っ飛ばされたのが地味に面白かった。
「もう、灼ちゃん! 乱暴な言葉遣いはダメっていつも言ってるかなっ!」
「うるせー。オレのことより、ソッチをどうにかするのが先だろ」
姉に叱られて舌打ちをするどこまでも柄の悪い妹だった。
正直、灼さんは苦手だ。
というのも、出逢いがしらに胸倉を掴まれて絡まれるという苦い思い出があるからなのだが。
そんな俺のトラウマを知ってか知らずか、彼女は俺の顔を見てニッと笑った。
「よう、少年。何がどーなって今の状況になったか、全然わかってねえンだろ? でもまあ、それは仕方ねえよ。だってお前、男だもん」
……この娘は何を言っているのだろう。
とはいえ、放火癖のある彼女に「日本語でおk」なんて言えるはずはなく(そんな口を利いた日にゃ消し炭にされかねない)、俺は曖昧に返事をするのだった。
「気のねえ返事だな、おい。何ならヒントをやろうか? ま、聞いてもわかんねえと思うケド」
「それはどうも」
言外に“興味がないので帰ってください”と訴えてみるも灼さんは気づかない。むしろ、気づいているから絡んでくるのか。
「とか言いながら、オレもよくわかってないンだけどさ! あはは!」
「わかってないのかよ!」
「がなるながなるな。だからコレはオレのコトバじゃねえ。ただの受け売りなンだけどよ、カノンもアユミも、あのアワザクラ姉貴も、女だからこそイロイロ思うことがあるんだってよ。どうだ、理解できたか?」
「いや、全然」
「あははははは!」
そんなだからお前はダメなんだよ! と、自分のことは完全に棚に上げて散々笑うだけ笑うと、ふっと興味をなくしたように紅蓮の着物を翻した。
そしてそのまま、いまだ向き合ったままでいる二人のほうへと歩いて行った。
「しっかし、ほんとウソツキばっかだなあ」
二人は押し黙ったまま、静かに嘲笑う来訪者を見返した。
「どいつもこいつも、本音をひた隠しにしてよお。ああだこうだとコトバを吐き散らすくせに、肝心なことは一切言わねえンだもん」
「灼ちゃん!」
そこへ蔵杏羅さんが割り込む。
「お? なんだ、クアラ姉貴」
「あのね、ただでさえ面倒な状況なのに、これ以上、引っ掻き回すような真似をしちゃあダメかなっ!」
「別に引っ掻き回しに来たわけじゃねえよ。オレはただ、ラーシャ姉貴から伝言を預かってきただけだゼ?」
心外だと口を尖らせる灼さん。
「羅紗ちゃんから、伝言?」
「おうよ。ちなみに、なんでオレが伝達役かってゆーと、“赤繋がり”だってよ!」
「それは要らない情報かな……」
目を細めて冷ややかな視線を送る蔵杏羅さんに、彼女は「かかかっ」と笑う。
その様子を見ながら俺は。
一言に「赤」と言っても、羅紗さんは“情熱”の「紅」で、灼さんは“灼熱”の「緋」かなあ、なんてことを考えていた。
「んじゃ本題な。――ゴホン。えっとぉ、淡桜お姉ちゃんが怒って帰ってぇ、あゆたんとかのかのが険悪な感じにぃ」
「ストップ。ストップ、灼ちゃん!」
「ん~? なぁに?」
「なぁに? ――じゃないかな! なんで急にそんな口調になったのかなっ!?」
「? ラーシャ姉貴の真似だけど? そのほうが雰囲気出るだろ?」
「そんなムダな演出はいらないかな!」
そう言う蔵杏羅さんも、羅紗さんのモノマネをして突っ込まれていたのを俺は知っている。
「んじゃまあ、フツーに話すわ。まず、ラーシャ姉貴にはアワザクラ姉貴が一人で怒って帰って、カノンとアユミがギクシャクするってところまで想定済みだったみたいだゼ」
「流石、羅紗ちゃんだね。目が三つある人は何でもお見通しだねっ」
「つっても、あの目は貼り物(シール)だけどな」
「マジで!?」
思わず突っ込んでしまった。
灼さんは「うん、マジマジ」と軽く受け流して(その受け答えがあまりにも雑すぎて、結局のところ真偽はわからないままだ)、話を続けた。
「で、そのラーシャ姉貴からの提案だけど――暫く、アワザクラ姉貴は放置!」
「放置プレー!」
「いや、プレー違う」
頬を染める蔵杏羅さんに、「違う違う」と真顔で手を振る灼さん。いまいちシリアスになりきれない人達だった。
「話、戻すぞ? 姉貴曰く『まずは私情とか抜きにして、結界のことを考えるべき』だとよ。まあ、当然だよな」
その言葉に、あゆみの肩が微かに揺れた気がした。
「ああ。安心しろ、二人とも」
それを見ていたらしい灼さんが言う――彼女の視線はあゆみだけでなく、その横の妹にも向けられていた。
「その私情って部分に関しては、オレは何も聞いてねえよ。てか、姉貴自信もそこまで“視て”ねえと思うゼ」
んなコトより、と話の軌道を修正する。
そして、あゆみを名指しした。
「一つ確認してもいいかな?」
「……何?」
「お前は、カノンの言動に反感を抱いている――大方、“『八八さん』のくせにお役目に消極的すぎる!”とか思ってンじゃねえかな?」
あゆみは返事こそしなかったが、多分、当たっていたのだろう。灼さんは続ける。
「てコトは、カノンが文句を言わずに協力さえすりゃあ、お前のカノンに対する“わだかまり”は解ける――そうだよな?」
「……うん、そうやね」
と、今度は答えた――その前に何かしら言いかけていたが、言ったところであまり意味がないと判断したのかもしれない――少し間を置いて、あゆみは首肯した。
灼さんは満足そうに頷いて、観音さんのほうへ向き直った。
「んじゃ次、カノンな」
「灼姉様。わたくしには灼姉様にお話すべきことはないのですが。それに、何を言われたところで考えを改めるつもりはございません」
「うわあ……、涼しい顔して敵意丸出し、話し合う前から全否定とは恐れ入ったゼ……」
灼さんは大袈裟に肩をすくめてみせた。
「しかしまあ、なんつーか、お前はアワザクラ姉貴がホント好きなんだなあ」
「はい?」
その言葉に観音さんは初めて感情らしい感情を露わにした。もっとも、表面上は相変わらずの微笑だったわけだが。
「当然でしょう? 今更何をおっしゃっているのですか、灼姉様。御姉様のことは、この世の誰よりも――言葉では到底言い表せないほどお慕い申しております」
「あ、うん。程度はどーでもいいンだけど……。ま、とにもかくにも姉貴が大事なお前は、ああ見えて責任感の強い姉貴が、結界のことでヒトと関わって無茶をするんじゃないかと心配なんだろ?」
「ええ、その通りです。そもそも、わたくし達とヒトでは持っている価値観が違います。ヒトに悪気がなくとも、知らず御姉様に負担を強いてしまうことだってあるのです」
今回のように。そう言って拳を握りしめる十六女。
「なるほどな。だからヒトと関わりたくないってか」
灼さんは笑った。
呆れたように嗤った。
「でも、それはムリだろ? 結界はヒトと力を合わせなきゃ守っていけねーぞ? オレらだけじゃムリムリ」
「ですが」
「カノン」
妹の名を口にするその顔からは笑みが消えていた。
「それ以上は幼子(ガキ)の言い訳――ただのワガママだ」
ぴしゃりと。
取り付く島もなく言い放たれた言葉に、流石の観音さんも一瞬怯んだように見えた。
「……灼姉様は、あのとき――あの“六十二年前”をお忘れなのですか?」
「あ?」
暫くして「ああ……、あんときの“アレ”か」と、大きく息を吐いた。
「いやまあ、あれは不可抗力だった気がするケド……でもま、それでやっと繋がったわ。カノンの態度の理由も、ラーシャ姉貴の伝言の理屈も」
灼さんは頭を掻いて、もう一度溜め息をついた。
それから俺達を向いてこう言った。
「えっとな、ちょい昔にイロイロあってさ。メンドーだから詳しくは話さねえケド、ヒト絡みであの姉貴がものっすごい凹んで、三年近く寝床から出てこねえっつー事件があったンだわ。それがキッカケで、もともと姉貴っこで人見知りだったコイツ――カノンが重度のヒト不信になっちまってよ。そしてそのまま今に至るってワケ」
「はあ……」
「いろいろあるんやねえ……」
引籠りに人間不信。
今までだって十分すぎるほど感じてはいたが、「八八さん」の人間くささに何とも複雑な気分になる。
「それでラーシャ姉貴の伝言に戻るんだけど、カノンに自分達は信用に足るヒトだって証明してやってくれよ」
「は? どゆこと?」
「どゆことって、言葉通りの意味だけど? お前らが姉貴を不用意に傷つけたりしない心優しいニンゲンだってわかれば、コイツだって無意味に敵対心を向けることはねえだろうし――つか、向けさせねえし。……どうだ、悪くねえ話だろ?」
「いやいやいや。意味わからんし! 証明ったって、どうや――」
俺の言葉を白い手が遮った。
あゆみが一歩前に出る。
「わかった。証明してみせるけん」
「!? なんで乗り気なんだよ!」
「だって、観音さん――ううん。『八八さん』みんなに言えることやけど、強い縁を結ぶには信頼関係が必要なんよ」
そう言って、あゆみは観音さんを真っ直ぐ見据えた。
「意地でも信用してもらうけん、覚悟しといてやね!」
信用するのに覚悟というのはまたおかしな話だが、あゆみの宣戦布告(?)に観音さんは平然と微笑んだ。
「わかりました。望むところです」
「よーし。両者、文句はないみてーだな。じゃあ、その証明方法ってヤツを説明するぜ」
二人は頷く。話についていけないでいるのは俺だけだった。
……ん?
ふと、何かを忘れていることに気づく。
そういや、あの一人と一匹はどこに行ったんだ?
そう思って辺りを見回すと、本堂の影に寝転がって空を仰ぐ蔵杏羅さんとたいさんの姿があった。話に飽きて早々に離脱していたようだ。
俺は溜め息をついて、灼さんの話へと意識を戻した。
「証明つっても別に難しいことを要求する気はねえ。よく聞くアレだ。“他人の立場になって考えてみよう”ってヤツ。これから行く先に立江寺(たつえじ)ってあるだろ? その寺が『関所寺』って呼ばれてンの知ってるか? 知らなきゃ後で調べてみ。んで、ラーシャ姉貴が言うには、そこで誰かが足止めを食らってるみたいなんだわ。そいつの心の内を聞いて“前に進めてやる”ことができたら『合格』だってよ」
/2
「恵クーン、あゆみちゃーん! 事件発生! こっちに来てほしいかなっ!!」
名前を呼ばれて、長い回想から引き戻された。
「あ、蔵杏羅さんが呼びよる」
あゆみが後ろを振り返る。声は「日限大師堂」の中から聞こえていた。
ここ――井戸寺には、お大師さんが水不足や濁り水に悩む人々のために一夜で井戸を掘ったという伝説が残されている。
そして、お大師さんは掘った井戸に自ら顔を映し、その姿を石に刻んだという。
日限大師堂には、その石が「日限大師」として祀られていた。
なぜ日限大師と呼ばれているのかと言えば、一週間や一ヶ月という風に日を限り、その間、欠かさずお参りすれば願いが叶うとされているからだ。
「あ……」
堂の入り口を覗き込んで、あゆみはすぐさま踵を返した。
日限大師堂の中央には例の井戸――「面影の井戸」がある。それを見ての反応だった。
三番札所・金泉寺(こんせんじ)の龍泉(たつみ)さんのおかげで、あゆみの“井戸恐怖症”は克服されたものだと思っていたが、そうでもなかったらしい。
「あたし、他のとこ行って『八八さん』を探しよるけん!」
言うやいなや、脱兎のごとく走り去っていくあゆみ。その背中を見送って俺は中へと入った。
「あら、あゆみさんは?」
「井戸が怖いから他のところを見てくるって」
「あらあら。くすくすくす……」
俺の答に二葉さんが笑う。
「然(そ)う言えば、吾(われ)の処(ところ)でも斯様(かよう)なことを云(い)うておったな……」
「そそ。龍泉さんとこの『黄金の井戸』と同じで、寿命が絡む系は苦手なんやって。で、事件って?」
「そ、そう! 事件! わたし達の影が映らないの!」
興奮気味に蔵杏羅さんが言う。
「それって、『八八さん』だからってオチでは……」
「嫌だなあ、吸血鬼じゃあるまいし」
隣で褐色肌の黒鐘さんが呆れたように肩をすくめる。まさか「八八さん」の口から「吸血鬼」という言葉が出るとは思わなかったが、それはさておき。
「ま、私達ってそういうところは自由だからさ。映ろうと思えば鏡でも水面でもガラスでも映ることができるのさ。もちろん、写真にもね」
「自由すぎるわ」
「でも、恵くん。鏡に映るほど実体化するって、口で言うほど簡単なことじゃあにゃいのにゃ。翌日寝込む程度には体力を消耗するのにゃ」
そう言ったのは熊羽八(ゆうや)さん――通称・熊さんだった。
「故に此処に居る吾ら五人は明日一日寝て過ごすと思うが、起こして呉(く)れるな」
「起こしてくれるなって……こんなことで無駄に体力使うなよ……。それより、姉妹が喧嘩してるってわりには、みんな普通っていうか、我関せずっていうか……」
「ああ、淡姉と観音ちゃんのことかにゃ? 別に関心がないわけじゃあないにゃ。でも姉妹喧嘩なんてしょっちゅうにゃ。ほら、仲がいいほどにゃんとやらってヤツにゃ」
「ふうん。で、熊さんの語尾ってそんなだっけ?」
「妹がいっぱい出てきたからキャラ立てに余念がないのにゃ!」
「あ、そう」
熊なのに。と、心の中で呟く。
「そんなことより恵クン。井戸の中を一緒に見てほしいかな」
「どれどれ……」
蔵杏羅さんに袖を引かれて井戸の中を覗き込んだ。
「!?」
瞬間、堂内がどよめいた。
「あら? あらあらあら? 恵さんの影も映っていませんわ」
「なんと。吾が『黄金の井戸』には、はっきりと映っておったのだが」
「まだ若いのに……残念だったね」
「た、たた大変かな! こ、このままじゃ三年以内にしししし!?」
「お、落ち着くのにゃ! 素数を数えて落ち着くのにゃ!」
騒ぎ立てる五人。
俺は盛り上がっている彼女達を邪魔しないように、そっとその場を後にした。
◇
日限大師堂を出て納経所へ向かう参道脇に、石造りの鳥居と赤い絵馬掛けがあった。
寺の敷地内でありながら神を祀る祠があるところは少なくない。
明治時代、神仏のごちゃ混ぜ状態――神仏習合(しんぶつしゅうごう)という慣習を法により廃止したが、その慣わしが完全に消えることはなかった。
困ったときや願いを叶えてほしいときに、つい口にしてしまう「神様仏様」という言葉がいい例だろう。
さておき、井戸寺の「熊鷹大明神」もまた、寺内に祀られた神様だった。
鳥居の奥に小さな祠があり、その両脇に狛狐が鎮座する。つまり、熊鷹大明神はお稲荷さんなのだが、祀られているのは「タヌキ」だという。熊鷹とは民話『阿波狸合戦』に登場するタヌキの名前なのだそうだ。
俺は鳥居の柱の側にしゃがみ込むあゆみを見つけた。ほぼ同時に、あゆみも俺に気づいたようで、
「恵、事件って何やったん?」
と、真剣な眼差しでそう訊いてきた。
俺は黙って視線を逸らせた。
「もしかして……、井戸に影が映らんかった、とか……?」
あゆみに動揺の色が浮かぶ。俺は暫く押し黙っていたが、あゆみがあまりにも熱心に訊いてくるのでついに口を開いた。
「……ああ。あそこにいた蔵杏羅さん達全員……そして、俺も」
「だ、大丈夫なん!? 映らんかったら、たたた短命やって……! 三年以内に不幸に見舞われるって……!!」
そこで堪え切れなくなって吹き出した。
きょとんとするあゆみ。
「あの人数で一斉に覗き込んだら、そら影なんか映らんわ、ってオチ」
笑いながら説明すると、あゆみは「なあんだ……」と安堵の溜め息をもらした。
その後、はっとした様子で、
「――って言うか、そんなタチの悪い冗談はやめてやね!!」
と、頬をふくらませた。
「悪い悪い。――で、お前はそんな場所で何してたんだ?」
「あ、そうそう! 小さなお友達ができたんよ!」
そう言って、あゆみはまた鳥居の下にしゃがみ込んだ。
その上から覗き込むと、台石のところに十五センチくらいの人影があった。
真っ先に目がいったのは、キツネの面とタヌキの面を中心で割って合わせたような一風変わった面。そして、二本の尻尾。
人形だと思った。
しかし、よく見れば手足が動いている。それは機械的な動きではなく、ヒトと同じ仕草だった。
「な、なんだあ、こいつ!?」
「こいつとは、とんだご挨拶やな!」
小さい何かが怒った。
「今ね、“タヌキ限定クイズ合戦”しよるんよ。やけん邪魔せんでね」
タヌキ限定? クイズ合戦? というか、この小さいの何?
訊きたいことは多々あったが、邪魔するなと言われたので俺はすごすごと引き下がった。
ほどなくして“タヌキ限定クイズ合戦”が再開された。
内容は「赤殿中(あかでんちゅう)」や「坊主狸(ぼうずたぬき)」といった徳島県に伝わる化けダヌキに関することらしいのだが、いかんせんマニアックすぎて俺にはさっぱりだった。
ただ、面白そうな話題だったので暇なときにゆっくり教えてもらおう。そう思っているうちに最終問題まできたらしい。
「そいじゃあ、いくで。このお寺に棲んどる、タヌキとキツネを合体させた名を持つ存在は、なーんだ?」
小さい何かは最後の問題と言って、そんな出題をした。
「タヌキとキツネを合体……?」
「他のヒトに訊いてもええよ。制限時間は三分!」
尻尾を振りながらカウントをはじめる小さい何か。
「恵、さっきの問題わかる?」
「なぞなぞとか言葉遊びの類? それとも、この地域にそんな妖怪がおるとか?」
そこに、通りすがりの熊さんが現れた。
「熊さん、いいところに」
「うにゃにゃーん? 恵くん、そんな渋い顔してどうしたのかにゃ?」
「いきなりやけど、タヌキとキツネを合体させた名前の妖怪って知っとる?」
「タヌキとキツネ?」
うどんは関係あるのかにゃ? と、首を傾げる熊さん。
その様子じゃあハズレだな、と諦めかけたとき、熊さんが言った。
「もしかして“リコ”のことかにゃ? “狸弧”と書いて“リコ”」
「“リコ”?」
と、あゆみが復唱した声に反応して、小さい何かはカウントを止めた。
そして、
「せいかーいっ!」
と、手で大きな円を描いた。
次の瞬間、その身体に変化が起きた。
十五センチ程の小さな身体がみるみるうちに大きくなって、ついにはヒトの子供くらいの大きさになって、その光景をぽかんと見ていたあゆみに抱きついた。
「嬉しいなあ! 全問正解するヒトなんかはじめてやもん!」
その拍子に面が外れ、素顔があらわになる。
癖のある山吹色の髪の下に、茶色く丸い獣の耳。見上げる瞳は金色で、幼さの残るその顔は無邪気な笑みを作っていた。
「狸弧で正解やったみたいやけど、狸弧ってどんな妖怪なん?」
「うにゃん? 狸弧は妖怪と違うにゃ」
熊さんはさらりと言った。
目の前で戯れる童子を指差して、
「狸弧はあの子の名前で、あの子はボクの妹にゃ」
つまり、このお寺の「八八さん」だにゃ、と。
◇
目の前で“縁結び”を終えたばかりの十七女・狸弧とあゆみが談笑していた。
「狸弧ちゃん、すっかりあゆみちゃんに懐いちゃったね」
「だなあ」
井戸寺を出て、俺は蔵杏羅さんと歩きながら話をした。
「しかし、タヌキの話ばっかで、よく会話が続くよな……」
「そうだね。あゆみちゃん、なんであんなに詳しいんだろう?」
「さあ」
「でも、おかげですぐに仲良しさんになれてよかったかなっ!」
「まあな。“縁結び”も無事に終わったし――あいつ、観音さんのことで自信なくしたっぽいこと言いよったけん、ここの『八八さん』があんな感じで助かったわ」
その言葉に、蔵杏羅さんが表情を曇らせる。
「その……観音ちゃんのことは、本当にごめんね。根はいい子なんだよ? でも淡桜ちゃんが絡むと余裕がなくなっちゃうみたいで、あんな態度になっちゃうの……」
ごめんねと、申し訳なさそうにうな垂れる蔵杏羅さん。
俺は慌てて首を横に振った。蔵杏羅さんに愚痴をこぼすつもりは毛頭なかったわけで。
「実は俺、観音さんとあの後二人で話したんやけど」
「そうなの?」
正確には話したというより、一方的に話しかけられたという状況だったが。
「観音さんの言い分というか理由が何となくわかって、案外すぐに納得できたんよ。で、俺としては淡桜さんとあゆみの行動のほうが理解できんって感じかな」
「そっか。確かに、淡桜ちゃんって基本が気紛れだもんね。あゆみちゃんはあゆみちゃんで、そこはかとなく謎めいた子だし」
蔵杏羅さんは笑った。
俺は、
「まあ、どうでもいいんだけど」
と、言った。
八十八箇所を無事に巡り切れれば、それで。
残り札所 七十一
結んだ縁 十六(保留、一)
つづく
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