第十九話<立江寺(後編)>

2014年10月 初稿(9,586文字)

文章:静夢-SHIZUMU-
企画:OpenDesign


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 ウソツキ。
 誰かが僕に言った。
 ウソツキはワルモノ。
 他の誰かが僕に言った。
 ウソツキでもワルモノでもないって僕は言った。
 だけど、信じてくれる誰かはいなかった。

      ◇

 目が覚めると、そこは僕の部屋じゃなかった。
 知らない畳の部屋。
 体を起こして辺りを見回すと、窓の側にまた知らないおにいちゃんが座っていた。
「――あれ、もう起きたん?」
 おにいちゃんは僕に気がついて読んでいた本を閉じた。
「でもまだ五時前やけん、もう少し寝よってもかまわんよ。……ん? どした?」
「う、ううん。何でもない」
 思い出した。
 ここは立江寺(たつえじ)ってお寺で、僕はそのお寺の部屋に泊まったんだ。
「雨、まだ降ってるね」
 ここからじゃ外の様子は見えないけど、見なくても音でわかる。
「だな」
 おにいちゃんは窓の外に視線をやった。
「……ごめんね」
 僕はその横顔に謝った。
 おにいちゃんは振り返って僕をじっと見た。何が? って、その目が訊いている。
「だって、僕のせいでおにいちゃんたちまでこのお寺を出られなくなったから……」
 この雨のせいで。
「あのな、君――」
 おにいちゃんは言いかけて、ふと言葉を切った。
「そういや、名前まだ訊いてなかったな。俺は幸野恵って言うんやけど、君の名前は?」
「……山下悟(さとる)」
「あのな、悟くん」
 おにいちゃんは言い直して、
「悟くんは自分のことを“ワルモノ”って言いよるけど、何か悪いことしたん?」
 と、僕に訊いた。
「ううん。してない」
 僕は首を横に振った。
「だったら――」
「悪いことは何もしてないよ。でも、クラスのみんなが言うんだ」
 僕のこと“ウソツキ”だって。“ウソツキ”は“ワルモノ”だって。
 嘘じゃないって言っても信じてくれなくて。
 だったら証拠を見せろって。
 見せても、どうせ「視て」くれないくせに。
 おにいちゃんはふっと笑った。
 僕は黙って唇を噛んだ。
 呆れられたのかと思って悲しくなった。だけど、そうじゃなかった。
「でも、嘘はついてないんやろ?」
「……うん」
「ならええやん」
 だったら君は“ウソツキ”でも“ワルモノ”でもないよ――そう言ってくれた。
「それに立江寺を越えられんのは“邪な心を持つ者”だしな」
「よこしま?」
「例えば、誰かを騙したり傷付けたりしてもお構いなしに自分の好き勝手しようって思う悪い心のことだよ」
「――ほほう。珍しく語っておるではないか、少年よ。おぬしも成長しているようだな」
「うわあ!?」
 突然、おにいちゃんの背中が喋った。と思ったら、橙色の丸い何かが転がり出てきた。
「たいさん、急に出てこんでや!」
「儂(わし)がいつ出てこようが儂の勝手だ。というか、黙っておれば人を座布団代わりに押し潰しおって」
「いや、人違うし」
 おにいちゃんとその丸い何かは、ごく自然にお喋りを始めた。
「ね……ねえ、昨日から気になってたんだけど……その丸いの……何?」
 僕は、おそるおそる訊ねてみた。
 おにいちゃんはそれをつかみ上げて答えた。
「こいつは『たいさん』って名前で――タヌキらしいんだが、タヌキに見えるか?」
「えっと?」
 僕が知ってるタヌキとは違う気がする。
 でも、本物を見るのは初めてだから何とも言えなくて、
「僕、小学生だからわかんない」
 と、僕は笑って誤魔化した。


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「ところで、おぬしたちは何を話しておったのだ?」
 タヌキさんに訊かれて、僕ははじめから全部話すことにした。
 このお寺に辿り着いたところから、全部。
 そもそも、僕はここに来るつもりはなかった。
 本当はここじゃないお寺に行くつもりだった。
 だけど途中で道に迷って、歩き回っているうちにここへ辿り着いた。
 お寺の人に道を訊いたら教えてもらえると思った僕は、迷わずお寺の門をくぐった。
 ここが「関所寺」って呼ばれている「立江寺」だとは知らずに。
 そして、あの怖い人と出逢った。

      ◇

 お寺に入って、大きなお堂の前を横切ろうとしたところで僕は立ち止まった。
 お堂の柱の陰に変わった格好をした誰かがいた。
 テレビとか漫画とかゲームで見るような鎧と長い槍。
 とても目立つ格好なのに、僕以外のみんなは気づかないまま歩いて行った。
 それで、あの鎧の人も“そう”なんだって気づいた。
 鎧の人はずっと背中を向けていて、僕は暫くその背中を眺めていた。
 あのとき、鎧の人がどんな表情をしていたかは知らない。
 でも、僕には怒っているように見えた。
 そう思うと、急に不安になった。
 早くこのお寺を出たい。
 そのとき。
 不意に、鎧の人が振り返った。
 離れていてもわかった――鎧の人が僕を睨んでるって。
 逃げたらあの長い槍が飛んでくるかもしれない。
 そう思うと怖くて、僕は引き返すことができなかった。
 だからひたすら前へ、お寺の奥へと走った。
 それから少し時間が経って、僕はあの鎧の人がいたお堂の前に戻ってきた。
 いなくなってたらいいな、そう思いながら。
 だけど、鎧の人は同じ場所にいて門の方をじっと見ていた。
 見張っているんだと思った。
 僕がお寺を出ようとしてそこを通りかかるのを。
 こうして僕は、このお寺から出られなくなった。
「――ふむ、なるほどな」
 僕の話を聞いて、タヌキさんは頷いた。
「んで、そうこうしている間に雨が降ってきて、ますます身動きがとれなくなった、と」
「うん」
「その雨すら自分を足止めするために鎧の人が降らせている――と」
「うん……」
「ふむふむ。なるほどなるほど」
 タヌキさんは、否定も肯定もしないでただ頷いた。
「でもさ、悟くんがここに閉じ込められる理由が見当たらんのやけど」
 と、おにいちゃん。
「そうかもしれんな。だが、小さい少年よ。おぬしは何か思うところがあるのだろう?」
 まるで見透かしたようなタヌキさんの言葉に僕の心臓は大きく打った。
「えっと、僕は……」
 僕は一生懸命考えながら話した。
「やっぱり僕は、みんなが言うように“ワルモノ”なんだと思うから……」
 嘘をついたり、物を壊したり、誰かをいじめたり、そんなことはしていないけれど。
 だけどみんなが僕を“ワルモノ”って言うのは、やっぱり僕がみんなにとっての“ワルモノ”だからで。
 みんなには見えないものが僕には視える――きっとそれが理由。
 多分だけど、僕が本当に視えるかどうかなんてみんなにとってはどうでもいいことで。
 それよりも、僕だけがみんなと違うってことの方が重要で。
 その違うってこと自体が、みんなにとっては“ワルモノ”だから、みんなとは違う僕はやっぱりみんなにとっての“ワルモノ”なんだって――言ってる途中で自分が何を言っているのかわからなくなったりもしたけれど――僕はなんとか言いたいことを言い切った。
 そんな僕におにいちゃんは、
「みんなと違うところがあってもそれは別に悪いことじゃあないけん」
 と、呟くように言った。
 少し怒っているようにも聞こえた。
「じゃ、じゃあ……あの鎧の人はなんで僕を睨んだりするの?」
「あー……、まあ、それは確かに」
 おにいちゃんは暫く考えて、それからニッと笑った。
「じゃあさ、本人に直接訊いてみるか」
「え?」
「だって、考えてわからんことは訊くしかないやろ?」


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「……いないね」
「あの柱だよな?」
「うん。階段を上って左側の柱。昨日はずっとそこにいたんだよ」
 薄暗いお堂の中をおにいちゃんと二人で歩いた。
 だけど、誰もいなかった。
 縁側に出て辺りをぐるっと見渡してもネコ一匹見つからない。
「どこに行っちゃったんだろう。お休み中なのかな」
「つか、おらんのやったら今のうちに寺を出ればいいんじゃ――」
 おにいちゃんはごもっともなことを言いかけて、だけど言い終わる前に口をつぐんだ。
「? どうしたの?」
「いた」
「えっ、どこどこ!?」
 おにいちゃんが指差した先に人影があった。
 その影はこのお堂の斜め向かい――門の近くにある小さなお堂の中へと消えていった。
「あれは毘沙門堂(びしゃもんどう)かな。とりあえず、行ってみるか」
「うん」
 僕たちは雨の中に飛び出して毘沙門堂まで走り抜けた。

      ◇

 毘沙門堂。
 その名前の通り、そこは毘沙門天っていう武神さまが祀られたお堂。
 毘沙門天は「多聞天」っていう別の呼び名があって、一人でいるときは「毘沙門天」、持国天・増長天・広目天とあわせて四天王の一人っていうときは「多聞天」って呼ぶのが通例? ――らしい。
 ソロとバンドで名前を使い分ける歌手みたいなものって、おにいちゃんは言ってた。
 よくわかんないけど。
 そして毘沙門天は七福神の一人としても有名。鎧姿の髭面のおじちゃんが毘沙門天で、勝負事にご利益があるってみんなに崇められているんだって。
 お堂に入ると、すぐ目の前に毘沙門天の像――そして、その台座の下にうずくまる人影があった。
 鎧の人だ。
「あの……」
 おにいちゃんが声をかけると、影はむくりと起き上がった。
「――――あ゛?」
 鋭い眼光が暗闇を射貫(いぬ)いた。
「――!?」
 反射的に、おにいちゃんは後ずさりした。僕は余裕で五歩くらい下がっていた。
「怖! 怖っ!!」
「だから言ったのに! 怖いんだって!」
 口パクで意思疎通を図る僕たち。
 そんな僕たちを鎧の人は冷やかな目で見つめて、心底不愉快そうに舌打ちをした。
「怖いって言うか、柄悪! ――むぐっ」
「おにいちゃん、声に出てる!」
 僕は慌てておにいちゃんの口を手でふさいだ。
 その横を誰かが通り過ぎた――桶のおねえちゃんだった。
「門(ゆき)ちゃん、おひさー」
「――む?」
 桶のおねえちゃんが笑いかけると、鎧の人は少し表情を緩めた。
「癒安(ゆあん)姉さんではないか」
 なんだ、姉さんの連れだったか。そう言って、鎧の人は台座の下に座り直した。
「え? ……もしかして『八八さん』?」
 この怖い人が? と、おにいちゃんは呆気にとられたように呟いた。
「うん。このコはウチの妹で、十九女の門ちゃん。山門の『門』って書いて『ゆき』って読むの」
 桶のおねえちゃんが、鎧の人(おにいちゃんだと思ったら、おねえちゃんだった!)を前にして言った。
「それにしても――ふふ。相変わらず険しいお顔」
 桶のおねえちゃんが、鎧のおねえちゃんの頬をつんつんする。
「やめれ。頭に響く」
 鎧のおねえちゃんは手で頭を押さえながら顔をしかめた。
「今日も頭痛がひどいの?」
「ふっ。甘いな。痛いのは頭だけではないぞ。首・肩・腰、そして膝!」
「……なんでそんなに誇らしげなのかな? って言うか、そんなに身体中が痛いんなら、いい加減、その頭の取ればいいじゃない」
 その頭――鎧のおねえちゃんの頭には大きな鐘がくっついていた。
「いや、これは……」
「鉄の塊を髪の毛だけで持ち上げているんだもの。そりゃあ、首も頭も痛くなるのは当然でしょう? ね? 外してあげようか?」
 桶のおねえちゃんが手を伸ばす。
「ま、待て! 触るな! これはダメだ!!」
 途端、取り乱したように声を上げる鎧のおねえちゃん。
「いいか? この鐘は私の象徴だ! 頭痛、腰痛、肩こり、その他諸々程度でこれを放棄するわけにはいかぬ!!」
 鎧のおねえちゃんが何を言っているのかわからなかったけど、とりあえず必死だということだけは伝わってきた。
「…………」
 ふとおにいちゃんを見ると、おにいちゃんは微妙な顔をして二人のおねえちゃんを見ていた。
「あのさ、一つ突っ込んでも構わん?」
「なあに?」
「何だ?」
 どことなく申し訳なさそうに言うおにいちゃんに、二人の視線が集まった。
「門さんの言う“象徴”ってのが“肉付き鐘の緒”なら、髪に巻きつけるべきは鐘楼の鐘じゃなくて鐘の緒――鰐口(わにぐち)を鳴らす紐が正しいんじゃないかなって……」
「――――――――!!!!??」
 ゴーンと、どこかで鐘が鳴った気がした。
「……門ちゃん、大丈夫?」
「…………………………………………暫く、放っておいてはくれまいか……」
 おにいちゃんの突っ込みは想像以上の破壊力で、鎧のおねえちゃんはお堂の片隅で体育座りをしてうな垂れていた。
「ねえ、おにいちゃん」
「ん?」
 僕は鎧のおねえちゃんに聞こえないように、こっそりおにいちゃんに訊いた。
「さっき言ってた『わにぐち』って、何?」
「ああ。お堂の正面の軒に丸いヤツがつるされとるやろ? 布を編んだ紐がついとって、その紐を振ったらカンカン音が鳴るヤツ。あれのことだよ」
 神社でも使われる体鳴楽器で、「金鼓」や「金口」という別の呼び方もあるそう。
 それから暫くして。
 鎧のおねえちゃんが落ち着いたところを見計らって、僕は話しかけた。
「ね、ねえ!」
「……何だよ」
 正面から向き合うのはやっぱり怖かったけれど、僕は勇気を出して訊いた。
「おねえちゃんはなんで僕を睨んでたの? 僕をお寺から出さないため?」
「…………」
「……………………」
「……………………」
 鎧のおねえちゃんは、ぽかんと僕を見た。
「睨む? 寺から出さない? 私が?」
「……違うの?」
「違うも違わぬも、何のことだかさっぱりわからぬ」
「え?」
「そもそも、君、誰だ?」
「えええっ!?」
 そのとき、にょろっと白い何かが僕の首に巻きついた。
「!!」
 それが白ヘビだと気づいて、僕は気が遠くなりかけた。
「ごめんねえ。このコは目が悪いものでして、だから――」
「!!!?」
 白ヘビの後に出てきた白い髪のおねえちゃんを見て、僕は気を失った。

      ◇

「あ、気がついた?」
 目を覚ますと、僕は三人のおねえちゃんに取り囲まれていた。
「もう、巳空(みそら)ちゃんには困ったものね。だから、あれほど気配を消してヒトの背後に立っちゃダメだって言ってたのに」
「その通りだ。あのままポックリと――ということだってあり得るのだからな」
「……しょぼん」
 桶のおねえちゃんと鎧のおねえちゃんに叱られてしょんぼりする白ヘビのおねえちゃんの図。
「それは置いておいて――えっと、悟ちゃんが眠ってる間に恵ちゃんから聞いたんだけど……なんて言うか、災難だったね」
 桶のおねえちゃんは苦笑まじりにそう言った。
「ああ、その件については、まずは私から言わせてもらおう。言っておくが、私にヒトを拘束する力などない。天候を操るなどもってのほかだ。でもまあ、いろいろ誤解をさせてしまったことは詫びよう」
 すまなかったな、と鎧のおねえちゃんは頭を下げた。
 意外にも優しい人でびっくりした。というか、予想外過ぎて僕は少し焦った。
 それから僕は、三人のおねえちゃんに話を聞いた。
 そして、ある事実へと辿り着いた。
「――つまり、こういうこと? 鎧のおねえちゃんが怖い顔をしていたのは頭が痛いのを我慢してたからで、睨まれたと思ったのは僕の勘違い……?」
「……まあ、簡単に言えばそういうことだ」
 鎧のおねえちゃんが頷いた。
「そんなオチってあるのー!?」
 僕は思わず叫んだ。
 僕の声がお堂に響いて、それと同時に、
「お。雨やんだな」
 と、お堂の外からおにいちゃんの声が聞こえてきた。

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「恵、おはよう」
 廊下を歩いていると、白い着物のおねえちゃんが前から歩いてきた。
「おはよう、恵と同室の――」
「悟です」
「おはよう、悟くん」
「おはようございます」
 僕はおねえちゃんにぺこりとお辞儀をした。
「ちょうどよかった。朝ご飯食べに行こうや。場所は昨日の大部屋だったよな」
「うん。あ、たいさんは?」
「……あ。部屋に置き去りやった……。ちょっと呼んでくる。先に行っとって」
「了解。それじゃあ、悟くん、先に行っとこうか」
「うん」
 部屋に行くと、長机の上にはすでにお膳が並んでいて美味しそうなご飯の香りが漂っていた。
 少し遅れて、おにいちゃんがタヌキさんを連れてきた。
「お好きな席にお座りください。ご飯とお飲み物のお代わりは真ん中の配膳台に――」
 作務衣着の女の人に案内されて、僕たちは窓際の席に座った。
「雨があがってよかったね」
 窓の外を見上げて、白い着物のおねえちゃんが言う。
「今日は鶴林寺と太龍寺と、もう一つくらい行けるかな。――あ、悟くんはどうする? おねえちゃんたちはご飯を食べたら次の札所に向けて出発しようと思うんやけど、一緒に来る?」
 おねえちゃんに訊かれて、僕は頭を掻いた。
「僕は家に帰るよ。本当は『じげんじ』ってお寺に行くつもりだったんだけど、もう行く必要がなくなっちゃったし」
「じげんじ?」
 おにいちゃんとおねえちゃんの声が重なった。
「四国別格霊場第三番札所の『慈眼寺』のことだな。次に向かう第二十番札所・鶴林寺の奥之院でもある」
 タヌキさんは人間顔負けの箸さばきでご飯を食べながら、
「しかし、慈眼寺とはまた渋いチョイスだな。なぜ、その寺に行こうと思ったのだ?」
 と、僕に訊いてきた。
「お参りすると目の病気が治るって聞いたから」
「ふむ。なるほど、その目を“直し”たかったわけだな」
 僕はこくんと頷いた。
「でも、今はこのままでもいいかなって」
 おにいちゃんたちと出逢って、イヤなことばかりじゃないってわかったから。
 だから、行く意味がなくなった。
「そうか‥‥しかし、それで行く意味がなくなったとか、そんな寂しいことを言うものではないぞ」
 タヌキさんが僕の鼻先に箸を突きつけた。
「あ、人に箸先を向けたらいかんのよ!」
 そこをすかさず、おねえちゃんに叱られた。
「……話を戻すぞ。小さい少年よ。理由はどうあれ、一度は思い立ったのだ。どうせ帰るなら慈眼寺を訪れて帰るがいい。なに、心配はいらん。こやつらが責任を持っておぬしに同行するぞ」
「また勝手なことを……って、慈眼寺って結構離れてるやん!」
 おにいちゃんは携帯で地図を見ながら言った。
「遠いと言えど、四国を一周する距離から考えればたいしたことはない」
「そりゃあ、そうだろうけど」
「小さい少年が行きたいと言っておるのだ」
「いや、今はもういいって言うたやん」
「愚か者め。それはおぬしらに気を遣わせてはならんと思う小さい少年なりの心配りだ。年長者たる者、その厚意に甘んじてはならん! 胸の奥にある真意に気づいてだな、先に『一緒に行こう』と言ってやることが年長者たるおぬしの役目よ」
「いやいや、行く気がなくなったところに年長者から誘われても困るだけだろ」
 当事者の僕を置いて、どんどん加速する会話。
 こういうときは一体どうすればいいのだろう。
「悟くんを置いてきぼりにして、なんであの二人が言い合ってるんだろうね」
 おねえちゃんは苦笑を浮かべておにいちゃんとタヌキさんを見守っていた。
「ねえ、実際はどうなん?」
「え?」
「慈眼寺に行きたいかどうかってこと」
「ええっと、正直、どっちでもいいかなって感じで。一緒に来てくれるんだったら嬉しいし、でも無理してまではいかなくてもいいかな、って。おねえちゃんは?」
「あたしもどっちでもいいよ。だから、悟くんに決めてもらおうって思ったんやけど、悟くんもどっちでもいいってことは、決定権はあの二人のどっちかやね」
 正確には一人と一匹やけど、っておねえちゃんは付け加えた。
 そして、その一人と一匹は今も言い合いを続けている。
 決着はつくのだろうか……。
「――よし、わかった」
 と、タヌキさん。
「そこまで言うのであれば、本当のことを言ってやろう」
「何だよ、本当のことって」
「ふっ。耳の穴かっぽじってよく聞いておくのだ」
 そして、タヌキさんは目をかっと見開いた。
「つべこべ言わずに行くのだ! 慈眼寺は別名『穴禅定(あなぜんじょう)の寺』と言ってだな、『穴禅定』という修行ができる寺なのだ! 『穴禅定』はよいぞ! 神秘体験そのものだぞ! 少年や小さい少年には、ぜひとも体験してほしい! というか、儂ももう一度穴に入りたい!!」
 一瞬、みんなが無言になった。
 僕たちだけじゃなく、お寺の人や、他に朝ご飯を食べに集まった人たちまで。
 そして、一斉に吹き出した。
「ったく。たいさんが行きたいってだけやん」
 おにいちゃんが呆れたように溜め息をつく。
 でも、顔は笑っていた。
「まあいいけど。どうせ俺は付き添いやけん、あゆみがいいって言えばついて行くわ」
「あたしはいいよ。『穴禅定』って修行にも興味あるし」
「よし、決まりだな。そうと決まればまずは腹ごしらえだ。小さい少年よ、慈眼寺までは結構歩くからな、しっかり食べておくんだぞ」
 そう言って、タヌキさんはおにいちゃんのお膳からおかずをとって、ぽいぽいっと僕の器に入れた。
「ちょっ、人のおかず、勝手に持っていくな」
「僕、こんなに食べられないよ」
「あははは」
 そんな感じで、朝食の時間は今までにないほど賑やかに過ぎていった。


   残り札所 七十九
   結んだ縁 十八(保留、一)

つづく


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